六波羅蜜寺の歴史がわかる3人の人物

六波羅蜜寺といえば六波羅探題や空也が思い浮かぶ人が多いと思いますが、実は平清盛や歴史的な戦いの場でもあるのです。また、冥界の入り口と言われる六道珍皇寺や縁切り神社として知られる安井金比羅宮などの側にあることからもわかるように、この辺りは独特の雰囲気がある京都観光ができる場所です。
歴史の教科書や参考書で出てくる空也や平清盛、運慶、湛慶や、保元の乱、平治の乱など、歴史好きにはとても良い場所なので、六波羅蜜寺の歴史を中心に見所などを載せていきます。
六波羅蜜寺がわかる3人の人物
ここでは六波羅蜜寺に関わる歴史的人物を、「空也」・「運慶一族」・「平清盛」の3人に分けて解説していきます。
人物1. 空也とは
当時流行した疫病を治すため、空也自ら十一面観世音菩薩を彫り、車に乗せて人々の救済に向かい、茶に梅干しと結び昆布を入れ病人に与え治療したと言われています。
空也とは踊り念仏で知られる市聖のことです。もとは醍醐天皇の第二皇子で、若い頃に出家しています。また、六斎念仏の始祖ということで有名です。
空也といえば、口から南無阿弥陀仏の仏を表した6体の仏を出している、空也上人立像が有名ですが、これは六波羅蜜寺の宝物館にあり有料で見ることができます。
人物2. 運慶・湛慶・康勝の慶派(運慶一族)
六波羅蜜寺は仏師である運慶一族の菩提寺であったことにより、運慶・湛慶一族による作品が多く、快慶の弟子などの作品もあります。
日本史の教科書や参考書に載っているものを現実で見れるのはなかなか面白いものです。六波羅蜜寺は「木造空也上人立像」が有名ですが、この作品も運慶の四男であると考えられています。
ちなみにこの仏師の名前は康勝です。運慶が親、湛慶が長男、康勝が四男という流れで、六波羅蜜寺は運慶一族にゆかりの深いお寺だということがわかります。
また、運慶は鎌倉幕府お抱えと言える仏師で、幕府関係の仏像を多く作っています。また、六波羅蜜寺では地蔵菩薩坐像が運慶の作品です。長男の湛慶は京都では三十三間堂の木造千手観音坐像などの作品を残しています。
人物3. 平清盛と六波羅の関係
平家の栄華を極めた平清盛の邸宅があったとされるのが六波羅蜜寺周辺の場所です。全盛期には5200もの平家の邸宅があったとか。
保元の乱後に信西がクーデターを起こし、二条天皇や後白河上皇が囚われの身になります。そこから脱出した二条天皇が平清盛によってかくまわれたのも、当時この六波羅にあった平清盛の邸宅です。
さらに平清盛は、内裏に立て籠もる藤原信頼・源義朝・源義平などを六波羅に誘い出し、六条河原で源氏軍に勝利します。これが平時の乱です。
この平治の乱で破れた源義朝は源頼朝や義経の父であり、この後に平清盛によって頼朝は伊豆へ島流しに、義経は京都の鞍馬寺へと預けられ命を救われるという歴史的舞台になったのも六波羅なのです。
六波羅蜜寺の歴史
歴史1. 六波羅探題と六波羅蜜寺の関係とは
六波羅といえば六波羅蜜寺よりも六波羅探題が思い浮かぶ人が多いと思います。六波羅探題とは京都・六波羅にあった鎌倉幕府の役所の一つで、朝廷の監視・洛中警護・西国支配のために設置されました。この六波羅や京都を攻め鎌倉幕府に武家政権を打ち立てたのが源頼朝です。これにより朝廷から武家政権へ交代となり、鎌倉時代になると武家政権となるので朝廷と幕府は対立します。
また、朝廷は平清盛の縁者が天皇になっているので、平家と朝廷の繋がりが深く警戒されていたわけで、六波羅を警戒した鎌倉幕府は、六波羅探題を置く事で武力的に関しや警護、支配を行なっていたわけです。
六波羅探題には北条泰時・時房が住み、承久の乱後の処理を行いました。また、六波羅探題は足利尊氏によって壊滅します。これにより京都の朝廷政権(後醍醐天皇)が、鎌倉幕府に勝つ分岐点になったと言える重要な場所でした。
ちなみに、隠れた見どころとして、六波羅蜜寺内に六波羅探題の石碑があるので観光した際には着目してみると歴史を感じられると思います。
歴史2. 六波羅蜜寺の名前の由来
六波羅蜜寺は951年病疫平癒のために空也上人が開いた真言宗智山派のお寺です。
また、御朱印に書かれている通り、西国三十三所観音霊場の第17番礼所でもあります。
六波羅蜜寺の六波羅蜜というのは仏教の教義で、涅槃の彼岸(悟り)に達するための六種の修行を指します。
六種の修行とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧のことで、これが六波羅蜜寺の名前になっていると考えられています。
ちなみに波羅とは、真実の世界の意味があります。
もう少し詳しく見ていくと、六波羅蜜は八正道を具体的にしたもので、八正道を日常生活で実践する指針としてまとめたものです。
さらに細かく見ていくと次のようなものになります。
- 布施波羅蜜(ふせはらみつ)
他人に施しをすること。これにより心の安らぎを得られる。金銭などは財施、法話などは法施、笑顔や親切は顔施とという。 - 持戒波羅蜜(じかいはらみつ)
人としてやってはいけない行いを戒めを守こと。よくを立ち、心身を清く保ち、安らぎを得ること。 - 忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)
評価を期待せず我慢してじっと耐えること。これにより心の安らぎを得られる。 - 精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)
安逸を貪らず一心に努力すること。これにより心の安らぎを得られる。 - 禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ)
心を静かに安定させることで安らぎを得ること。 - 智慧波羅蜜(ちえはらみつ)
全てを正しくありのままに見ること。これにより安らぎを得られる。
布施・精進・智慧は外に、持戒・忍辱・禅定は内面のことを言っており、これらは八正道の実践指針となっています。
歴史3. 西光寺から六波羅蜜寺へ
元々、六波羅蜜寺は西光寺という名前で空也によって建てられました。しかし、後に中信という僧が六波羅蜜寺と改称し現在まで続いています。
また寺院の移り変わりとしても、西光寺から天台宗の別院として六波羅蜜寺と改称され、その後、真言宗の智積院末寺になり、もともと規模が大きかったものの、江戸時代に縮小するなど、歴史の流れの中で色々と変化していきました。
六波羅蜜寺で見られる仏像
宝物殿には10体の仏像があります。六波羅蜜寺には運慶たちが作ったとされる像があり、間近で見ることができます。仏像の他、空也や平清盛・運慶・湛慶など、六波羅蜜寺周辺の地域に関連する人物の像を見ることができます。
- 木造空也上人立像(口から南無阿弥陀仏を表す仏を出している像)
- 木造僧形坐像(平清盛坐像)
- 木造地蔵菩薩坐像
- 伝・運慶坐像、伝・湛慶坐像
- 木造四天王立像
- 薬師如来坐像(平安時代に作られたと言われている)
- 木造弘法大師坐像
- 木造閻魔王坐像
- 木造吉祥天立像
- 木造地蔵菩薩立像(平安時代の定朝の作で左手に毛髪を持ち、鬘掛地蔵(かつらかけじぞう)と言われている。毛髪は、お金がなく母を埋葬できない娘に、ある僧が埋葬を引き受けてくれた。せめて費用の代わりに売って欲しいと娘は美しい髪を切り僧に渡した。後日六波羅蜜寺へ赴くと、お地蔵様の手には髪が握られていたという伝説がある)
その他、空也が彫ったと言われる十一面観世音菩薩像は、12年に一度辰年に開帳される秘仏となっています。
六波羅蜜寺の御朱印
六波羅蜜寺の御朱印は上記のようなものです。
料金は300円で、その他、御詠歌や弁財天の御朱印などもあるようです。
六波羅蜜寺を含むおすすめ観光ルート
祇園四条駅→建仁寺→六波羅蜜寺→六道珍皇寺→安井金毘羅宮→二年坂→高台寺→八坂神社→花見小路小町→四条通→四条駅(地下鉄)
というルートがお勧めです。この他にも清水寺などに行けるルートや、平安神宮などに行けるルートもあります。
二年坂・三年坂・清水寺は道が続いていて、飲食店やお土産屋が多くあります。四条周辺は、四条通り・錦市場など飲食店やお土産屋が密集しているので、お寺や神社だけではなく賑やかな場所を観光したい人はこれらの周辺に行ってみると良いと思います。
いろいろと書きましたが、一つ一つ見ているととても時間が足りないくらい京都の観光スポットがあるので、面白そうなところを次々に行くと満足かも高いと思います。
六波羅蜜寺中心で考えると、六波羅蜜寺は縁切り寺で有名な安井金比羅宮、六道珍皇寺に近く徒歩で行ける距離です。特に六道珍皇寺彼らは歩いて数分で行ける距離であり一緒に観光するとこの辺りの歴史も分かりやすくなると思います。花見小路小町や四条通、二年坂などに飲食店やお土産屋が集中しているので、その辺と社寺仏閣のバランスをみて回ると、とても楽しい京都観光ができるでしょう。
六波羅蜜寺の最寄駅は京阪本線の清水五条駅です。清水五条駅は清水寺に行く時に使う駅でもありますが、清水寺に行くには直線で歩いていきます。六波羅蜜寺は、大通りを直線で歩く途中の細い道を左に曲がって歩いて行くとあるので、あまり目立たずわかりにくいので、その点だけ注意でしょう。
六波羅蜜寺やこの周辺の六波羅という場所は六道の辻と言われ、昔、死者を葬送していたと言われている、「死の六道」とも言われる場所です。当時の京都では、この辺りが死者を運ぶ道であり、死者に対して別れを告げていた場所なんだとか。そのためか、江戸時代までは髑髏(どくろ)町とも言われていたんだとか。
空也上人が念仏を唱えていた頃は疫病が流行り、大量の死体があったとされています。このようなちょっと怖い歴史のある観光ルートも今ではパワースポットと言われている場所(物)もあります。ちょっとしたミステリーを感じながら六波羅蜜寺の周辺の観光をしたい人は次の2箇所がおすすめです。
周辺1. 六道珍皇寺
六道珍皇寺は小野篁(おののたかむら)伝説が語られているお寺で、冥界の入り口があると古来から言われていたスポットです。六波羅蜜寺から徒歩5分程度なので、少しミステリアスな京都観光をしたい人にはおすすめです。
周辺2. 安井金比羅宮
六道珍皇寺から近く、六波羅蜜寺からも遠くない位置にあるのが安井金比羅宮です。お札がたくさん貼られている穴の空いた石を潜り、縁切り・縁結びができるスポットとして有名です。絵馬には強烈な縁切りの願いが書かれていたりもします。
祭神である崇徳天皇は、保元の乱で後白河天皇に破れた人物です。平清盛の活躍により崇徳上皇が破れ、後白河天皇が勝利しているので、六波羅蜜寺や安井金比羅宮周辺が、当時、日本の中心を巡る争いの場であったことがよくわかると思います。
その他のおすすめ
安井金比羅宮や六道珍皇寺以外では、近くに華やかなスポットがたくさんあります。飲食店やお土産屋などが多々あるので明るい雰囲気で京都を観光できるでしょう。
おすすめは二年坂・三年坂で、その先には清水寺があります。また、清水寺とは逆方向に進むと高台寺や八坂神社などがあり、八坂神社の先には四条通りや花見小路通という商店街が広がっているので、おすすめです。
六道珍皇寺・六波羅蜜寺・安井金比羅宮というミステリーな雰囲気のあるスポットとはギャップのある華やかな観光スポットを合わせて巡ると印象深い京都観光ができると思います。