織田信長と本能寺の見どころが一気にわかる簡単解説
本能寺といえば織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が有名です。本能寺の変や、織田信長、本能寺の場所などについて、京都の街と絡めて解説していきます。前半が織田信長について、後半が本能寺の見どころについて解説していきます。
1. 本能寺の場所はどこ?
今、本能寺はどこにある?というと、京都市役所前駅が最寄駅で、京都市役所の近くにあります。ホテル本能寺というホテルもあるのでわかりやすいでしょう。三条側の大通りからすぐの場所で、寺町通などがある四条の商店街を三条側に進んでいくと、三条側端に本能寺があります。
本能寺は歴史上で名前や場所が変わっているので、下記にまとめてみました。
- 1415年(応永22年)に日隆聖人が妙本寺を去る
- 油小路高辻と五条坊門の間に創建された
- その後日隆聖人と対立した妙本寺5世・月明が本応寺を破却
- 1429年(永享元年)に小袖屋宗句の援助により、千本極楽付近に再建される
- 1433年(永享5年)如意王丸から六角大宮の土地を寄進されて移り、本能寺に名称を改めた
- 1582年(天正10年)本能寺の変によって焼失(この当時は、西洞院四条の辺りにあった)
- 1591年(天正19年)豊臣秀吉の命令により、現在の地への移転し、再建
現住所は、京都府京都市中京区寺町通御池通下ル下本能寺前町522。
当時の本能寺は、周りに堀や土塁が築かれた城郭造りで、京都でも随一の大きな寺院だったそうです。ちなみに、本能寺の変があった場所は、京都府中京区小川通蛸薬師元本能寺町にあり、現在は老人ホームや学校が建っていて本能寺跡という石碑があります。
2. 織田信長と本能寺の変
織田信長の家族構成は下記の通り。濃姫との間に子供はおらず、側室との間には子供がいます。
- 父 : 織田信秀(斎藤道三と敵対後、同盟を結び病死)
- 母 : 土田御前(どたごぜん と読む。信長が嫌いだとか)
- 弟 : 織田信行(信長に2度反乱を起こし殺される)
- 妹 : お市の方(同盟のため浅井長政の妻となる)
- 妻 : 濃姫 (同盟のため信長の妻となった斎藤道三の娘)
- 義父:斎藤道三(道三自身の息子である義龍と戦い死去)
- 濃姫と織田信長は、信長15歳・濃姫14歳で、那古野城(なごやじょう)で結婚。
- 那古野城は父・信秀が今川氏から奪い信長を城主とした城(のちに家康によって名古屋城となる)。
- 濃姫は通称で、帰蝶(きちょう)が本名。美濃から来た姫なので、美濃姫→濃姫となったと言われています。
- 濃姫と信長に子供はできず、いつ死亡したかは謎。
- 濃姫のいとこに明智光秀がおり、光秀は斎藤道三の家臣だった。
織田信長は尾張(愛知県)出身で、主に愛知県や岐阜県、安土城を立てた滋賀県などに信長の痕跡を見ることができます。京都ではそれほど織田信長ゆかりの場所には出会いませんが、建勲神社は織田信長を祀っています。
3. 織田信長の人生年表
織田信長の一生がわかる年表を載せたので、本能寺と合わせてお楽しみください。敦盛の「人間五十年・・・」の通り、約50年の人生となっています。
- 14歳 : 吉良・大浜の戦いで初陣
- 15歳 : 濃姫と結婚(斎藤道三の娘との政略結婚)
- 23歳 : 弟・織田信行に稲生の戦いで勝利
- 27歳 : 今川義元に桶狭間の戦いで勝利(敦盛を舞ってから出陣)
- 34歳 : 稲葉山城の戦い(斎藤氏から美濃を奪う)
- 35歳 : 浅井長政と同盟締結・足利義昭を将軍にする
- 37歳 : 金ヶ崎の戦い・姉川の戦い・石山合戦(開始)
- 38歳 : 比叡山焼き討ち
- 40歳 : 一乗谷城の戦いで朝倉義景に勝利
- 41歳 : 伊勢長島一揆で一向一揆軍を全滅させる
- 42歳 : 長篠の戦いで武田騎馬隊に鉄砲を使い勝利
- 43歳 : 天王寺の戦い・安土城築城開始
- 44歳 : 手取川の戦いで上杉謙信に敗走(柴田勝家)
- 45歳 : 木津川口の戦い・有岡城の戦い
- 48歳 : 京都で馬揃えを行い天下人を誇示する
- 49歳 : 天目山の戦い・本能寺の変で明智光秀に追い込まれ自害(1582年6月2日)
4. 信長が舞った敦盛とは
桶狭間の戦いの前に信長は城で敦盛(あつもり)を舞って出陣します。今川義元25000の兵 VS 織田信長2000の兵。ここで織田信長は人間五十年・・・という敦盛を舞って出陣したという話。
- 人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
- 人間界での50年は、天上界に比べれば、夢幻のごとく儚いという意味。
敦盛は伝統芸能の「幸若舞(こうわかまい)」の演目の一つで、源平合戦で、熊谷直実が若い平敦盛を討ったことに苦悩する内容になっています。熊谷直実や敦盛に関しては、京都では、金戒光明寺に鎧かけの松や熊谷堂があります。
5. 本能寺見どころ
本能寺の変があまりにも有名なので、本能寺を訪れたことがない人はどんな立派な寺院なのだろうと期待してしまうと思います。しかし、歴史的な知名度とは裏腹に、現在の本能寺はビルに囲まれた一角にひっそりとあります。山門前には商店街も。
ここからは本能寺の見どころを解説していきます。見どころは主に、登録有形文化財に指定されている「本堂」と「信長公御廟所拝殿」、「大宝殿宝物館」の3つです。
6. 本堂
本堂は本瓦葺の入母屋造で、日蓮聖人や織田信長の位牌などが祀られています。
7. 信長公御廟所拝殿
信長公御廟所拝殿は本堂の南側にあり、木造平屋建の銅板葺で1928年(昭和3年)ごろに再建された模様。
8. 大賓殿 宝物館
大賓殿宝物館では破却、兵火、火災などを潜り抜けた三足の蛙、梅樹雉雀文様銅鏡、建盞天目茶碗など数々の文化財を展示公開しています。大宝殿宝物館は1998年(平成10年)に建築されました。
9. 本能寺の能の字が違う理由
本能寺は5度ほど火災に見舞われたことから極端に火災を嫌っているようで、本能寺の「能」の字の右半分は、ヒが2つではなく、去という字に変わっています。(ヒ = 火 という解釈)
10. 御朱印と御朱印帳
- 本能寺の御朱印は、妙法と書かれており、300円
- 御首題は南無妙法蓮華経と書かれており、300円
本能寺のオリジナルの御朱印帳は、織田木瓜が描かれている御朱印帳が1冊と、寺紋が描かれている御朱印帳が色違いで3冊あります。1000円です。
11. おすすめ観光ルート
本能寺は寺町の商店街に隣接しています。寺町の商店街には小さなお寺やお店が多くあり、四条通り方面に歩くのがおすすめです。四条通りから八坂神社方面に歩くと、鴨川・祇園白川・花見小路通・建仁寺・八坂神社・円山公園・知恩院など、多くの見所が続いており、徒歩で連続して観光できるのでおすすめです。
- 行き(京都駅→地下鉄烏丸線・四条駅)
- 四条通り・寺町通(錦市場・錦天満宮→誓願寺→本能寺)
- 鴨川→祇園白川→八坂神社・円山公園→知恩院
- 帰り(地下鉄烏丸線・四条駅→京都駅)
12. 本能寺へのアクセス
- 住所:京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
- 時間:6:00~17:00
- 大寶殿宝物館時間:9:00~17:00 受付16:30終了
- 大寶殿宝物館料金:一般500円、ホテル本能寺利用者300円、中・高校生300円、小学生250円、修学旅行生200円
- 京都駅から地下鉄烏丸線「烏丸御池駅」乗換東西線へ、市バス「市役所前駅」下車 市バス・京都バス「河原町三条停」下車すぐ
- 地下鉄「三条駅」下車
- 地下鉄「京都市役所前駅」下車
- 阪急電車「河原町駅」下車
織田信長関連のスポットでは、同じ京都にある建勲神社があります。船岡山の上にあり、織田信長の愛刀もあり、本能寺同様、織田信長の歴史を楽しめるスポットの一つです。