紫式部とは?エピソードを中心に、何をした人かをわかりやすく解説

紫式部は世界最古の長編小説である源氏物語の作者。平安時代半ばの人物で、生没年不明、名前も不明という人物です。

このページでは紫式部の人生が簡単にわかるように解説していきます。

1. 紫式部の少女時代

平安時代の中期、京(京都)に藤原為時ふじわらのためときという人物がいました。

藤原為時は身分は低いものの、学問が得意で朝廷勤めをしている人物。妻を失い為時自らが子育てをしていました。子は惟規のぶのりと妹の少女の2人です。

藤原為時は惟規に漢文を教えますが、なかなか上達せずにいました。しかし、隣で聞いていただけの少女が正確に史記を暗唱してみせたのです。この少女がのちに紫式部と呼ばれるようになる人物です。

2. 紫式部の大人時代

藤原為時は式部省の仕事をしており、少女は藤式部とうしきぶと呼ばれるようになります(もしくは少女が宮中に入る際に道長の妻・倫子から藤式部と名乗るよう言われた説もあります)。

この時代は漢文の書物は男の読み物でしたが、ひらがなが普及すると、女性の間にもかな文字で和歌や物語がつくられ始めます。物語には竹取物語や伊勢物語があり、藤式部は結婚で京を離れた友達と手紙で感想をやりとりして楽しんでいました。

3. 紫式部の結婚

藤原為時は京を離れ越前(福井県)の役人になりました。そのため藤式部も越前についていく事になります。

藤式部は本が好きで異性にあまり興味を抱かずにいたところ、藤原宣孝ふじわらののぶたかという人物から手紙が届くようになります。

藤原宣孝とは、次のような人物です。

  1. 式部より20歳も年上
  2. 式部と同じくらいの子がいる
  3. 役人としては有能
  4. 歌作りが得意

この藤原宣孝と藤式部は結婚し仲良く暮らし、二人の間に賢子けんしという女の子が生まれます。

この賢子はのちに天皇の乳母になり、従三位じゅさんみの地位に就く人物です。そのため賢子は歴史的に名前が残っているのです。

藤式部と藤原宣孝が結婚し、賢子が2歳に近づく春、藤原宣孝が流行病で急死します。このように紫式部は結婚し、子を成しましたが、早々に夫を亡くすのでした。

この夫・藤原宣孝を失った悲しみから逃れるため、源氏物語の執筆に没頭し友人に見せ好評を博すようになっていきます。(現代で言う同人誌活動的なもの)

4. 紫式部が藤原道長と出会う

平安時代は天皇家を頂点に、天皇と縁を深めたい貴族達がいる貴族社会と、それを支える民衆にわかれていました。

この貴族社会で頭角を表していたのが左大臣・藤原道長です。

藤原道長は自分の娘・彰子しょうしを一条天皇の2番目の妃にすることに成功します。

1番目の妃は定子ていしで、清少納言が仕えていました。

清少納言は枕草子まくらのそうしの作者で才能あふれる知識人です。

しかし清少納言が仕えた1番目の妃である定子が病死します。これをチャンスと思った藤原道長は、清少納言に匹敵する才女を娘の彰子につけることを考えます。帝は定子が好きで忘れられず、彰子は帝と距離が縮まらない状況だったのです。

そこで道長は教養があり人を惹きつける源氏物語を書いた藤式部を宮廷に入れ、彰子の家庭教師を任せることで、彰子と帝の仲を深まるように画策したのです。

藤式部が宮中に入るメリットは下記。

  • 紙が多く使える(紙は当時貴重)
  • 惟規のぶのりの出世に関わる
  • 生活水準が上がる

宮廷入りは名誉なことですが、藤式部は性格的に宮廷入りをしぶっていました。当時は30歳を超える藤式部が宮中で働くことは恥ずかしいとも思えることだったのです。

しかし、権力者・藤原道長の頼みは断れず、賢子を実家に残し宮廷入りすることになったのでした。

5. 宮廷入りした紫式部

藤式部は中宮彰子ちゅうぐうしょうしに仕えつつ、宮中で嫌いな宮仕みやづかえをしつつ、源氏物語を書いていきます。

やがてこの源氏物語が評判を呼び、その登場人物の若紫になぞらえて藤式部は紫式部と呼ばれるようになります。

さらに一条天皇が源氏物語を読み関心するなど、紫式部の評判は日にひに上がっていったのでした。

こうして紫式部は宮廷で有名になっていったのでした。

紫式部の父・藤原為時は、役人として越後(新潟)へ異動となります。紫式部の兄・惟規も同様ですが、惟規は越後で死去します。

紫式部は宮廷を退いた後、父・藤原為時と娘・賢子を残し先に亡くなります。死因は不明で、宮廷での無理が祟ったという説もあります。

以上が紫式部の一生です。

簡単にまとめると次のようになります。

  1. 少女時代に聞いていただけの史記を暗唱し才能を見せる
  2. 成長し藤原宣孝と結婚し賢子けんしを産む
  3. 藤原宣孝が死去
  4. 藤原道長の依頼で彰子しょうしに仕え宮廷に入る
  5. 宮廷で源氏物語が評判となる
  6. 宮廷を退いた後に死去

以上が紫式部が簡単にわかる解説でした。

藤原道長についても簡単に理解できるよう書いていますので、興味のある人はこちらからお読みください

藤原道長のページ

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