嵯峨釈迦堂と呼ばれる清涼寺の歴史と見どころを解説
清凉寺は、嵯峨釈迦堂という別称でも親しまれ、中世以降は融通念仏の道場としても知られている浄土宗の寺院です。
釈迦堂という名の通り、本堂の中に釈迦に関するものがたくさん展示されています。また、桂昌院に関係するものも置いてあります。
別称 | 嵯峨釈迦堂 |
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宗派 | 浄土宗 |
山号 | 五台山 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建 | 987年(寛和3年) |
開基 | 奝然(ちょうねん) |
開山 | 盛算(せいさん)は奝然の弟子 |
1. 清凉寺に所縁のある3人の人物
人物1. 奝然(938年〜1016年)
奝然(ちょうねん)平安時代中期の東大寺出身の僧侶です。俗姓は秦氏。983年宗に渡り、太宗から大師号や新印大蔵経などを賜って日本への帰国しました。奝然が宋の太宗に献上した「王年代紀」は「宋史」として日本伝に収録されています。
人物2. 源融(822年〜895年)
源融(みなもとのとおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族で、嵯峨天皇の息子です。紫式部の源氏物語の主人公光源氏の実在したモデルの一人と言われています。源氏物語は全編54帖あり、そのうち44帖までが光源氏を主人公として描いていますが、そのモデルとなった源融のお墓が清涼寺にあるわけです。
- 昔、清涼寺の一角は源融の山荘「棲霞観」があったとされる
- 父・嵯峨天皇ゆかりの大覚寺は清涼寺から割と近い距離にある
人物3. 豊臣秀頼
豊臣秀頼は豊臣秀吉の三男で、秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子。秀吉の後継者として兄である秀次と秀頼側で揉め、秀次側は秀吉に自害させられ、秀頼は誓約書を書かせられた上で後継者となるなど、豊臣家の家督を継ぐエピソードなどが残っています。
そして千姫と結婚します。千姫は徳川家康の孫で徳川秀忠の娘。つまり豊臣家と徳川家両方を家族に持った人物です。しかし方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん)で徳川家康と対立し、大坂の陣で負け、大坂城で自害しました。
- 豊臣秀吉と茶々の子
- 徳川秀忠の娘である千姫と結婚
- 方広寺鐘銘事件から大坂の陣となり大坂城で自害
自害した場所や年齢、介錯傷や左耳への障害など、様々な要素から豊臣秀頼とされ、豊臣家にゆかりのある清涼寺に首塚ができたと言われています。
人物4. 桂昌院
桂昌院(けいしょういん)は徳川家光の側室で、五代将軍・徳川綱吉の生母です。
幼名を「玉」といい、「玉の輿」の語源となった人物でもあります。
- もとは八百屋の娘
- そこから将軍家光の側室になる
- そして将軍綱吉を産む
- 従一位という地位についく
以上のように大出世した人物が桂昌院です(従一位とは当時、女性の最高位)。
桂昌院は清涼寺の再建に関わるなどし、清涼寺本殿の中には桂昌院ゆかりの品が展示されています。
2. 清凉寺の歴史
歴史1. 棲霞寺と清凉寺
清涼寺は、棲霞寺と清凉寺という2つの寺院が1つになったものです。清凉寺の母体となるのは棲霞寺(せいかじ)です。
棲霞寺は平安時代初期、嵯峨天皇の皇子である左大臣・源融(みなもとのとおる)の一周忌に、その次男である源昇(みなもとののぼる)が源融の別荘であった栖霞観(せいかかん)を改築して建立したもの。
源融が生前造立を願いながら果たせなかった釈迦三尊像が造られ祀られ、清涼寺の歴史が続いていきます。
歴史2. 奝然から盛算へ
清凉寺の歴史は、奝然(ちょうねん)という僧が宋で作らせた釈迦如来立像を祀るために寺院を建立しようとしたところから始まります。しかし奝然の時代には比叡山延暦寺の反対があり、その願いは叶いませんでした。
奝然の死後、弟子の盛算(せいさん)がこの願いを引き継ぎ、1016年(長和5年)に棲霞寺の境内に寺院を建立ました。これが清凉寺の始まりとされています。
- 奝然が宋で釈迦如来立像を作らせた
- 釈迦如来立像を祀る寺院を作ろうとしたら比叡山延暦寺の反対にあった
- 奝然の死後、弟子の盛算が清涼寺を建立した
歴史3. 応仁の乱による消失
応仁の乱の兵火に会い、棲霞寺と清凉寺の伽藍はすべて焼失してしまいますが、1602年(慶長7年)に豊臣秀頼の寄進により再建されました。その後も嵯峨の大火や大地震によって伽藍は焼失と再建を繰り返しています。
歴史4. 徳川家康により浄土宗に
江戸時代になると、徳川家康が浄土宗に帰依していたことから清凉寺は浄土宗の寺院になりました。棲霞寺は次第に衰退していき、釈迦三尊像と釈迦三尊像を祀る阿弥陀堂を残すのみとなりました。
- この釈迦如来立像は、仏陀存命中にインドの王、優填王がセンダンの木で作らせた像を復刻させたもの
- 釈迦如来立像はインド、中国、日本と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と言われている
- 釈迦の生き写しとされ「生きているお釈迦様」とも呼ばれている
3. 清凉寺9つの見どころ
見所1. 本堂
釈迦如来立像が祀られている清凉寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれています。江戸時代初期の嵯峨大火で焼失してしまいましたが、1716年(享保元年)に再建されました。内々陣の宮殿厨子は、徳川綱吉とその母桂昌院の寄進によるものです。なので本堂の中に入ると釈迦や桂昌院に関する品々が展示されていたり、本堂裏手にある庭を見ることもできます。
この庭には弁天堂があり、弁天堂の周りには池泉回遊式庭園の川中島という庭園があります。
見所2. 阿弥陀三尊像
源融が作らせた像で清凉寺最古の仏像です。国宝に指定されており、三尊ともヒノキの一木造です。清凉寺の御本尊で、国宝に指定されていて本堂内に安置されている高さは162cmです。奝然が宗で模刻させたものを日本に持ち帰ったもので、三国伝来の釈迦像や、生きているお釈迦様とも呼ばれています。
大きく渦を巻いた髪、インドグプタ様式の衣、三段に重なった裾という日本の釈迦如来像とは違った異国的な姿が特徴的です。拝観できるのは、毎月8日(11時以降)と、春(4、5月)秋(10、11月)に特別公開の時のみです。ちなみに阿弥陀三尊像は京都では三千院と仁和寺にもあります。
見所3. 仁王門
京都府指定の文化財で、清凉寺の正門です。1790年代に再建されました。二層の門になっていて、一層には、仁王像を、二層には十六羅漢像が祀られています。
仁王門があるお寺は醍醐寺や太秦広隆寺、仁和寺など、京都にいくつかあるので、仁王像を比べて見ると京都観光の楽しみが増えるかもしれません。
見所4. 阿弥陀堂
清凉寺の発展に伴って棲霞寺は勢いを失い本殿横にある阿弥陀堂だけが棲霞寺の名残です。棲霧寺の元本堂でもあります。現在の建物は1863年(文久3年)に再建されたものです。かつては阿弥陀三尊像は阿弥陀堂に安置されていましたが、現在は霊宝館に安置されているため、ここにはあるのは別の阿弥陀如来立像です。
見所5. 霊宝館
霊宝館は寺宝が収蔵されています。阿弥陀三尊像や四天王像、地蔵菩薩立像のほか数多くの国宝や重要文化財が保管されています。公開時期は毎年4、5、10、11月です。
見所6. 一切経蔵
一切経蔵は輪蔵とも言われ、傅大士父子像や四天王像が配置されている小さな建物です。建物の中心には法輪と呼ばれる手で押しながら回す宗教道具があります。
この法輪は、1回まわすと一切経を読んだのと同じ功徳が得られると言われるもので、回し始め重いですが、回転させて行くうちに軽く回るようになります。法輪を回す体験ができるお寺も少ないので、清涼寺に行ったら回して見ると良いと思います。
見所7. 愛宕権現社
仁王門の右手にはお寺であるにもかかわらず鳥居があるのが面白いところ。仁王門をくぐってすぐ右手に鳥居があります。清凉寺はお寺なのに神社と鳥居があるのはなぜか?と思う人も多そうですが、これは愛宕権現社(あたごごんげんしゃ)という神社で、鷹ヶ峰から愛宕山山頂に神社を移す際にここでお祭りした名残として残っているものです。
元々は神社とお寺は同じ境内にあることは珍しくなかったとも言われており、京都には金地院や宝塔寺など、お寺の中に鳥居や神社が入っている場所がいくつか見られます。清凉寺もその一つなので、神仏分離令によって社寺がハッキリと分けられた歴史を感じられるかもしれません。ちなみに愛宕権現社(あたごごんげんしゃ)は火災防止の神様だとか。
見所8. 太子堂
聖徳太子の太子堂が清凉寺にもあります。京都には聖徳太子ゆかりのお寺がいくつかあるので、清凉寺を含め聖徳太子巡りをしてみるのも良いかもしれません。六角堂や法観寺なども聖徳太子の太子堂がある他、太秦広隆寺には聖徳太子の像もあります。
見所9. あぶり餅
仁王門から入って左手には「あぶり餅」を売っている飲食店があります。あぶり餅を12本ほどの串に小さな餅が付いていて、味はきな粉と醤油を混ぜたような、やや薄めで水分が多いというなんとも表現しづらい味でした。あぶり餅は今宮神社にもあるので、好きな人は食べ比べてみると面白いかもしれません。
その他にもメニューがあるので立ち寄ってみるのもありだと思いますが、清涼寺の境内にはもう一つ飲食店があるので、両方見比べて食べたいものがある方に入ってみるといいと思います。
その他、清涼寺の仁王門を出た正面に商店街があり、飲食店もいくつかあります。また、さらにそのまま直進すれば嵐山のメインストリートの商店街へ行く事ができます。二尊院側に歩いて行っても祇王寺や檀林寺の周辺に2〜3店舗ほど飲食店があり、そこから化野念仏寺に進んでもいくつか飲食店があります。嵐山周辺以外はそれほど飲食店が多いわけではありませんが意外とあるので、食べるものを選ばなければランチには困らないでしょう。
4. 清涼寺を含むおすすめ観光ルート
京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
清涼寺の本殿正面にして左側にある出口から進んで行くと徒歩で行ける距離で二尊院や祇王寺などがあります。青紅葉や紅葉が綺麗なお寺なので、観光スポットとしても有名です。夏・秋の嵐山に来た際の観光ルートとして押さえておくといいでしょう。
- 嵐電嵐山駅から嵐山商店街を抜けて清涼寺へ
- 祇王寺・檀林寺・滝口寺
- 化野念仏寺
- 二尊院
- 野宮神社
- 天龍寺
- 嵐山商店街→嵐電嵐山駅(帰宅)
- 渡月橋
- 嵐山駅(帰宅)
5. 清凉寺へのアクセス
- 住所:京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
- 拝観時間:9~17時(季節によって変動あり)
- 拝観料:大人400円・中高生300円・小学生200円
- 霊宝館は4月~5月、10月~11月のみ公開されます。拝観料は400円。本堂拝観との共通券の場合700円です。
- 駐車場:あり
- 交通案内:バスの場合、京都バスまたは市バスで「嵯峨釈迦堂前」で下車。
6. 清涼寺の周辺観光スポット
清涼寺は紅葉の名所ではありませんが、聖徳太子殿の前などは美しい紅葉を見ることができます。また、本殿周辺なども木々が紅葉していますが、紅葉目的で観光する場合は、清涼寺のすぐ側(隣)にある宝筐院がおすすめです。
仁王門を出て右手の突き当たり、徒歩1分程度に宝筐院があります。宝筐院は紅葉の名所で、期間限定で特別公開されるお寺の一つです。秋に京都を観光する場合はおすすめのスポットなので、秋に清涼寺に立ち寄った際には宝筐院にも行く事をおすすめします。見事な紅葉が印象的な嵐山観光ができると思いますよ。
その他、清涼寺の周辺には二尊院や小倉山荘旧址厭離庵などの紅葉スポットもあるので、合わせて紅葉巡りをすると、思い出に残る嵐山観光になると思います。
清凉寺周辺は有名な寺院がたくさんあります。嵐電で嵐山駅を下車し、渡月橋、天龍寺、野宮神社、二尊院、清凉寺、大覚寺と周るルートがオススメです。5.5キロほどありますが、嵯峨嵐山駅近くではレンタルサイクルもあるので、それを利用して周るとスムーズでしょう。
嵐山のスポット一覧をまとめましたのでご活用ください。