このページでは八坂神社の歴史をわかりやすく解説していきます。八坂神社の歴史を知る場合、素戔嗚尊と牛頭天王を知ること。この2神を中心に見れば八坂神社を理解できます。
その理由は、八坂神社はスサノオ一族を祀る神社であり、スサノオは牛頭天王と同一視される神だからです(諸説あり)。そこから祇園祭へとつながり、八坂神社の各末社などへと理解を深めると八坂神社の歴史が簡単に理解できるわけです。
読み終わる頃にはスサノオや牛頭天王、陰陽師・安倍晴明と八坂神社の歴史の意外なつながりが簡単に分かったと感じられるでしょう。それでは八坂神社の歴史を見ていきましょう。
このページの目次
歴史1. 八坂神社の歴史
八坂神社は全国にある八坂神社や須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神とする関連神社の総本社です。
スサノオノミコトとは、イザナギが黄泉の国から脱出した後に、禊(みそぎ)を行った際にイザナギの鼻から生まれた神です。禊の際にスサノオの他にアマテラス(姉)とツクヨミ(兄)という2神も生まれており、三貴子と呼ばれる特別な神となっています。
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)とは、イザナギの左目から生まれた女神で太陽神
- 月読命(つくよみのみこと)とは、イザナギの右目から生まれた夜を司る月神
- 須佐之男命(すさのおのみこと)とは、イザナギの鼻から生まれた男神で海原の神
歴史2. 八坂神社の創建
創建については諸説ありますが、社伝では斉明天皇2年(656年)と伝えられています。
656年前後だと645年の大化の改新、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いなどの出来事があり、中大兄皇子や中臣鎌足が活躍した頃に建てられた古い歴史の神社だということがわかります。
歴史3. 八坂神社と祇園の関係
地元では八坂神社のことを「祇園さん」とも言います。また、神仏習合の影響で祇園社や感神院などとも呼ばれていました。
祇園というのは八坂神社の西楼門から直線に伸びる道周辺の場所です。
これは昔あった、観慶寺の中の天神堂が信仰を集め、その天神堂が祇園社となり、祇園社の門前町としてこの辺り一帯が祇園と呼ばれるようになったのです。
このような経緯で、八坂神社が祇園さんと呼ばれているわけです。
- 観慶寺の中の天神堂が信仰を集めた
- 天神堂が祇園社となった
- 祇園社の門前町が祇園と呼ばれるように変化
- 神仏分離令で八坂神社となった
- このような経緯で八坂神社が祇園さんと呼ばれている
他にも祇園祭は八坂神社の祭であり、四条一帯で行われる祭りになっていたり、祇園白川など祇園と名がつくものが八坂神社周辺には多くあるのはこれらの歴史がわかると納得がいくものです。
歴史4. 祇園祭と牛頭天王とスサノオの関係
祇園祭は日本三大祭りの一つで、第56代清和天皇が疫病を牛頭天王の祟りだとし鎮めるために牛頭天王を祀ったのが始まりと言われています。
656年に高麗から来た伊利之(いりし)という八坂氏の祖先が、新羅国牛頭山の素戔嗚命(すさのおのみこと)の神霊を八坂郷に祀ったのが始まりとも言われています。
また、備後国風土記に牛頭天王がスサノオを名乗ったという記述もあることから、疫病の流行 → 牛頭天王の祟りを鎮める祇園祭 → 牛頭天王 = スサノオという関係になっているわけです。
歴史5. 安倍晴明と牛頭天王の関係
八坂神社以外ではあまり耳にしない牛頭天王ですが、安倍晴明の著書である簠簋内伝(ほきないでん)に書かれています。
簠簋内伝とは安倍晴明が書いた陰陽道の基本書で、牛頭天王信仰が書かれていることから八坂神社の関係者に安倍家がいたとも考えられています。
そして、簠簋内伝により陰陽道が民衆に広がりやすくなり、牛頭天王信仰も民衆に広がり祇園祭に繋がっていきます。
歴史6. 祇園祭と牛頭天王、八坂神社の関係
祇園祭は八坂神社の祭りで、安倍晴明との繋がりは、山鉾は祇園祭の先頭にある長刀鉾(なぎなたほこ)の天井には陰陽道の28宿の星座が打ち込んであること。
そして牛頭天王との繋がりは、長刀鉾の先に天王台や天皇人形は牛頭天王が由来とも言われていることや、祇園祭には様々な鉾町があるが、歩いていると牛頭天王の掛け軸があることです。
また、祇園祭の厄除けちまきに蘇民将来之子孫也と書かれており、この蘇民将来(そみんしょうらい)という民話に牛頭天王が登場しているのです。
歴史8. 蘇民将来と牛頭天王と八坂神社の関係
また、祇園祭の最後に茅の輪くぐりを行い無病息災を祈願しますが、この茅の輪くぐりと関係するのが八坂神社内の疫神社です。この疫神社に関係するのが蘇民将来であり、次のような民話があります。
- 嫁を探しに行く牛頭天王が宿を探していて巨旦(こたん)と出会う
- 裕福な家の主・巨旦は、意地悪で牛頭天王を家に泊めなかった
- 貧乏な家の主で巨旦の弟の蘇民将来は、牛頭天王を泊めてもてなした
- 蘇民将来はお礼に牛頭天王から宝物の珠(たま)をもらう
- その後牛頭天王は竜宮城で姫を嫁にし戻ると蘇民将来は金持ちになっていた
- 羨ましく思った巨旦は牛頭天王を泊めようとしたが悪いことばかり起きた
- 牛頭天王は良い人には良いことを、悪い人には悪いことを起こす神だった
- その後、牛頭天王は蘇民将来に「蘇民将来」と書いた木を身に着けておくよう伝える
- この木がお守りとなり、祇園祭の厄除けちまきに書かれている蘇民将来之子孫也という意味になっている
- そして八坂神社の疫神社が蘇民将来の民話が元になって建っており、祗園祭でも茅の輪が設置される
この民話の牛頭天王がスサノオノミコトと名乗っているものもあることや、龍宮城で嫁を見つけるのも、ヤマタノオロチという龍と関わりクシナダヒメと結婚することなど似た点があります。それでは古事記など日本神話に出てくるスサノオについて知っていきましょう。
歴史8. 祭神はスサノオ一族
八坂神社の祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)に関する系統の神々が祀られています。
妻である櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を始め須勢理毘売命(スセリビメノミコト)や、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)など多数のスサノオの家族など、スサノオ一族系統の神々なので、古事記や日本書紀などの日本神話を知っていると、より八坂神社の歴史が理解できます。
祭神1. 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
スサノオノミコトは、イザナギノミコトから生まれた三貴士の一柱(一神)で、性格は荒々しく、天の服織女(はたおりめ)を殺す原因を作ったり、オオゲツヒメを殺害するなど悪行が目立つ神です。
スサノオの悪行により姉であるアマテラスオオミカミが天岩戸に閉じこもります。スサノオは高天原を追放され、その先でヤマタノオロチの生贄になっているクシナダヒメノミコトを助け、クシナダヒメノミコトと結婚します。
高天原(たかまがはら)では悪行が目立ちましたが、葦原中国(あしはらのなかつくに)では英雄になるのが面白いところでしょう。

悪王子町の元悪王子社
八坂神社境内にある悪王子神社(あくおうじじんじゃ)は、悪王子神社はスサノオノミコトの荒ぶる魂を祀る神社で、スサノオノミコトの荒々しい性格がわかる神社です。
元悪王子社と書かれており、これは元々の悪王子社がここだという意味で、京都には他にも悪王子社があることを意味しています。
しかし、元悪王子町にある悪王子社には、八坂神社境内の悪王子社ではなく、元悪王子町の悪王子社が本当だと主張しています。
八坂神社の境外にはスサノオノミコトを祀る境外末社などが複数あり、荒御魂や悪王子などスサノオノミコトの荒々しい性格などがわかる神社が見られます。
また、素戔嗚尊は始めて和歌を詠んだとされる神です。
「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
という和歌を詠んでおり、ここから和歌の歴史が始まったとも言われます。
祭神2. 櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)
クシナダヒメやクシイナダヒメなどと呼ばれる美しい女性で、スサノオの妻。ヤマタノオロチの生贄となっていましたが、スサノオに救われ結婚。八坂神社の祭神でもある八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)を産みます。
『祇園牛頭天王縁起』では頗梨采女(はりさいにょ)という南海の娑伽羅竜宮城に住みむ竜王の第3女が牛頭天王の妻となります。八坂神社では頗梨采女とクシナダヒメを同一視して祀っています。
祭神3. 須勢理毘売命(スセリビメノミコト)
スサノオの娘で、オオナムヂと結婚する女性。兄である八十神に何度も殺され復活を繰り返すオオナムヂはスサノオがオオナムヂに数々の試練を与える中、オオナムヂを手助けしてスサノオの元からオオナムヂと駆け落ちし結婚します。
ちなみにオオナムヂは大国主(オオクニヌシ)とも言われたり大黒様として信仰されるなど、当時の日本に強い影響力を持った神です。
女性との縁を結んで国土を広げるため縁結びの神として八坂神社では祀られています。オオナムヂにはスセリビメの他にも妻がおり、その中でもスセリビメは八上比売(ヤガミヒメ)を嫌っていました。
その他の神々
- 神大市比売命(カムオオイチヒメノミコト)は、スサノオの二番目の妻
- 八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)は、スサノオとクシナダヒメの子供達8柱の総称
- アシナヅチとテナヅチは、クシナダヒメの親
このように八坂神社にはスサノオ系統の神々が祀られています。
アシナヅチとテナヅチはオオヤマツミの子で、オオヤマツミはイザナギとイザナミの子です。
ちなみにスサノオはイザナギが禊をした際にイザナギの鼻から生まれています。
- イザナギ・イザナミ → オオヤマツミ → アシナヅチ・テナヅチ → クシナダヒメ
- イザナギから生まれたのがスサノオ
というようにイザナギを親として、スサノオとクシナダヒメに続いています。日本神話では男神でも子を生み、体を洗うだけで子ができます。
歴史9. 京都五社巡り
八坂神社は四条のシンボル的な神社ですが、京都五社のひとつ、東を守る青龍ともされています。京都五社は中央の平安神宮、北(玄武)上賀茂神社、東(青龍)八坂神社、南(朱雀)城南宮、西(白虎)松尾大社の5つで、この5社で京の都を守っているといわれ、この5社を巡礼することを「京都五社巡り」と言います。
- 北・玄武・上賀茂神社
- 東・青龍・八坂神社
- 南・朱雀・城南宮
- 西・白虎・松尾大社
平安京は桓武天皇が京(みやこ)が平安になるようにという願いを込めて平安京と名付け、平安にするために四神相応の地を選んでいます。この四神相応の地が東西南北と玄武・青龍・朱雀・白虎などの関わりを考えた地形であり、それを担当したのが陰陽師となっています。
八坂神社の歴史まとめ
八坂神社の歴史をわかりやすくまとめると、下記のようになります。
- 八坂神社はスサノオ関係の神社である
- スサノオ = 牛頭天王説がある
- 牛頭天王は疫病の神で、親切にした蘇民将来の一族を守るお守りを授けた
- 八坂神社の疫神社が蘇民将来ゆかりの神社
- 祇園祭のお守りにも蘇民将来の逸話が関連している
- 観慶寺の天神堂が祇園社となり、神社周辺が祇園と呼ばれるようになる
- 祇園社は神仏分離令で八坂神社となり、祇園さんと呼ばれている
以上で八坂神社の歴史が簡単に理解できたのではないでしょうか。八坂神社周辺の社寺仏閣なども載せているので、興味がある方は合わせてお読みください。