八大神社と宮本武蔵、一条下り松の歴史と関係をわかりやすく解説
八大神社は一乗寺にある神社で、宮本武蔵ゆかりの地にあります。吉岡一門との決闘が行われた場所として一乗寺下り松が有名です。
詩仙堂や野仏庵とは徒歩一分圏内にあるので、合わせて観光するのがおすすめです。それでは八大神社について解説していきますので、参考にしてください。
1. 八大神社の歴史
八大神社は、詩仙堂に隣接している神社です。永仁2年(1294年)に創建されました。京の東北に当たる裏鬼門に位置しているので、厄除けの神様として知られています。
御祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)を祀っています。素戔嗚尊関連に興味がある人は当サイトの八坂神社を参照してください。当時の疫病や牛頭天王、素戔嗚命関連の歴史を詳しく解説しています。京都の各社寺とのつながりがわかり歴史好きには楽しめる作りになっています。
八大神社にゆかりのある人物としては宮本武蔵です。
その関連で、見どころとしては境内には宮本武蔵が吉岡一門と決闘した当時(1604年・慶長9年)の一乗下り松(いちじょうさがりまつの古木があります。
2. 八大神社見どころと宮本武蔵
八大神社は宮本武蔵とゆかりのある寺としても有名です。中でも一乗寺下り松の決闘は映画や小説にも描かれた有名な決闘です。宮本武蔵が吉岡道場の数十人とも言われる刺客との戦いを描いた場所なのです。そのため宮本武蔵関連の見どころがあります。
一乗寺下り松
宮本武蔵が「悟り」とも言える境地に達したのがこの地であり、 「宮本武蔵・開悟の地」 として知られています。 現在の一乗寺下り松は、昭和57年1月11日に植樹された4代目の下り松です。
武蔵と八大神社、一条下り松の歴史的関係を下記に書きましたのでお読みください。
宮本武蔵と八大神社、一条下り松の関係(文字を押すと開閉して読めます)
宮本武蔵の伝記
宮本武蔵は幼名を弁之助(べんのすけ)と言い、将軍・足利義昭から号を賜るほどの剣術者・無二斎(平田無二)の子として生まれています。しかし、早くに母を亡くしたためか父との親子関係は上手くいかず、無二と後妻が離婚した際に後妻(義母)に引き取られます。
弁之助は素行が悪く喧嘩に明け暮れ、やがて義母の家から正蓮寺(しょうれんじ)という寺の道林坊という和尚に預けられます。この頃、有馬喜兵衛(ありまきへい)という武芸者が自分の強さを示し雇ってもらうため、誰の挑戦でも受けると看板を立てます。弁之助は13歳でしたが有馬喜兵衛に挑戦し勝利します。
この闘いを見ていてた平田無二から声をかけられ弟子入りするが、平田無二は弁之助の父親であり、ここから平田無二に鍛えられ武蔵になります。
1600年(慶長5年)、武蔵は関ヶ原の戦いに参加します。結果としては武蔵が一兵卒として参加した西軍(石田三成側)が負け、武蔵は九州へ落ち延びほとぼりが冷めるのを待ちます。
1604年(慶長9年)、関ヶ原の戦いのほとぼりが冷めた頃、武蔵は京都の吉岡一門を訪ねます。吉岡一門は当時、京都で最強と言われた剣術道場で、武蔵はこの吉岡一門と勝負することが目的でした。吉岡一門は足利時代には兵法指南役も務めており、知名度と実力が高い一門です。そして過去に武蔵の父・平田無二は吉岡清十郎の父・吉岡憲法と闘い勝利しているという因縁もあるのでした。
武蔵と吉岡清十郎は京都洛北にある蓮台寺で闘い、武蔵の木刀一撃で勝負がつき、吉岡清十郎は瀕死の重傷を負うことになります。その後、復讐心に燃える清十郎の弟・吉岡伝七郎は武蔵に勝負を挑み、武蔵に敗れ絶命。さらにその後、幼少の吉岡又七郎を担ぎ吉岡一門が総勢で武蔵に復讐するため、武蔵に決闘を叩きつけます。
このような状況で武蔵が立ち寄ったのが八大神社であり、死を覚悟した武蔵は神社で神に祈ろうとします。しかし、普段から信心していないのに苦しい時の神頼みをしようとする自分の心の弱さを戒め勝負に臨むことにしました。これを後に「仏神を尊び仏神を頼らず」と書き記しています。「仏神を尊び仏神を頼らず」とは、「神仏は尊ぶが、頼りにはしない」というそのままの意味です。
そして一条下り松(いちじょうさがりまつ)で大勢の吉岡一門と戦い、吉岡又七郎や大勢の吉岡一門を倒し武蔵の勝利に終ります。これを一条下り松の決闘と言います。その後、吉岡一門の報復から逃れつつ、武蔵は京から奈良へと移動し、宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)と対決することになります。
ここまでが宮本武蔵ゆかりの地としての八大神社や一条下り松に関わる歴史です。このように八大神社と宮本武蔵の歴史がわかると、より京都旅行が楽しくなると思います。
宮本武蔵の人柄がわかりやすく出ている名言を紹介します。
- 我、事において後悔せず
- 道においては死をいとわず思う
- 心、常に、道を離れず
- 恋慕の思いに、寄る心なし
- 役に立たぬ事を、せざる事
これらの名言から武蔵は雑念が少なく、剣の道一筋に集中した生き方をしていたことが感じられます。その他にもひたすら鍛錬を行なっていた継続性や、心の在り方についての名言など、現代にも役立つ言葉があります。
- 一理に達すれば万法に通ず
- 千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす
- 初めの少しのゆがみが、あとには大きくゆがむものである
- 体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分自身の条件にとらわれないようにすることが大切である
- 人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ
宮本武蔵は達人ですが、現代の職人や趣味・仕事、そして生き方にも役立つ名言が多くあり、武蔵の著書・五輪書は現代でも多く読まれておりおすすめです。
五月の大祭
毎年5月には、八大神社の大祭が、宮座・氏子に伝承された古式にのっとって執り行われます。準備は4月下旬から行われ、境内では、しめ縄づくりや鐘、太鼓の打ち方、調子の合わせ方、鉾さしなどの練習が始まります。
5月4日は宵宮祭が行われます。宵宮祭は神幸祭の前日に行われる前夜祭です。下一乗寺、上一乗寺の地域の神輿が氏子区域を練り歩きます。19時に下一乗寺、20時に上一乗寺の神輿に御霊を移し、それぞれ出発した後、21時半頃境内に戻って来ます。
5月5日は神幸祭が行われます。踊り児の男児は五色の色紙で作られた垂紙の束を竹竿の先端に結いつけたサンヨウレホウキを持って練り歩きます。稚児は、冠・着物に袴を着用し、手に榊の小枝を持って巡行します。子供神輿も巡行します。剣鉾巡行や神輿巡行もあり、多くの人が参加する大祭です。
特殊神事
八大神社では、一年間に数多くの祭事が行われています。その中でも古くから伝わる独自の祭事は特殊神事と呼ばれています。年に7回行われる七御供祭、4月第1日曜日に行われる神弓祭と遷御祭、7月上旬と10月上旬に行われる湯立祭があります。
お守り
勝守
宮本武蔵と吉岡一門が決闘した当時の一乗寺下り松古木の木片の一部が入っているお守りです。「何事にも打ち勝つお守り」として人気です。
八大神社御朱印
通常の御朱印は300円で、祭礼の特別御朱印は500円です。どちらもいつ参拝してもいただけます。オリジナルの御朱印帳は剣鉾が刺繍されていて色は黄色と桃色があります。1200円です。
3. 八大神社へのアクセス
住所:京都市左京区一乗寺松原町1
◆電車の場合
最寄駅 : 叡山電鉄線・一乗寺駅
◆バスの場合
京都市営バス5・65・北8系統、一乗寺下り松で下車
京都バス55系統、一乗寺下り松で下車
4. 八大神社散策ルート
八大神社→ 詩仙堂→ 野仏庵→ 圓光寺→ 曼殊院 というルートがおすすめです。曼殊院から少し足を伸ばせば修学院離宮にも行くことができます。
八大神社周辺は紅葉スポットが密集しているので秋は紅葉を楽しめますが混雑する場所でもあります。紅葉以外の時期は比較的人が少ないので、静かに巡ることができるスポットも多いでしょう。
八大神社がある一乗寺の各スポットや、徒歩でも行ける修学院のスポットを下記にまとめたので、興味のある方は参考にしていただければ幸いです。