金閣寺の9つの見どころと特徴を踏まえてわかりやすく説明

このページでは、金閣寺の見どころを中心に、関連する歴史や人物などの知識を含めてわかりやすく紹介していきます。読み終わる頃には、金閣寺の知識が身につき、京都観光がより楽しくなっている事でしょう。
1. 金閣寺の見どころ
金閣寺の見どころは有名な舎利殿(金閣)の他、大きな池である鏡湖池などがあります。これら金閣寺の建物や庭園は極楽浄土に見立てて作庭されており、衣笠山を借景とした池泉回遊式庭園となっています。後小松天皇や中国貿易の使者など、北山文化ゆかりの地になっています。
- 「金閣寺」の正式名称は「鹿苑寺(ろくおんじ)」という
- 金閣寺は1397年(応永4年)に足利義満が北山殿を建立したのが始まり
- 寺名は開基である足利義満の法号鹿苑院殿にちなんで付けられている
金閣寺は相国寺の山外塔頭寺院で、塔頭とはメインのお寺から派生した寺のことです。
見所1. 鏡湖池
鏡湖池(きょうこち)は境内の半分以上を占める金閣が浮かぶ池・庭園のことです。葦原島などの大小の島々、畠山石・赤松石・細川石など各大名が足利義満に奉納した名石、そして衣笠山を借景とした風景が楽しめます。
→さらに詳しく(クリックで開閉式解説)
- 鏡湖池にある陸地は葦原島や鶴島、亀島などと名がついている
- 鏡湖池は金閣を中心とした池泉回遊式庭園で極楽浄土を表している
- 鏡湖池にある石は室町時代の各大名が競って献納したと言われる名石で、名石には畠山石・赤松石・細川石など大名の名がついている
鏡湖池は国指定の特別史跡および特別名勝です。「特別名勝」とは、国宝と同格の価値の高い景観のことで、「特別史跡」は歴史や学術的に価値が高いとされる庭園などを言います。
見所2. 金閣(舎利殿)
金閣は舎利殿のことで、建物を漆塗りし、金箔を貼った建物です。舎利とは釈迦の骨のことで、金閣内には釈迦の骨が祀られています。金閣寺最大の見どころは金色に輝く金閣(舎利殿)。
舎利殿は三層構造で各階の様式が違います。それぞれを下記にまとめたので金閣寺観光の参考にしてください。
舎利殿の見どころ | |
---|---|
屋根 | こけら葺きで上には鳳凰が飾られている。2020年12月29日にGo To トラベルが停止される中、金閣寺の屋根が18年ぶりに一新された。 |
三層 | 「究竟頂」(くっきょうちょう)。足利義満を象徴する禅宗様仏殿造風で、仏舎利を安置。内部外部ともに金箔が貼られている。縁と高欄(手すりのあるベランダ)、床が黒漆となっており、花頭窓(かとうまど)が付いている造り。 |
二層 | 「潮音洞」(ちょうおんどう)といい、武家を象徴する書院造(武家造)で、岩屋観音像と四天王像を安置。武士は貴族より上の存在ということを表現したとも言われている。外壁には金箔が貼られ、内部の壁は黒漆、屋根は金箔、縁と高欄(手すりのあるベランダ)が付いている造り。 |
一層 | 「法水院」(ほっすいいん)といい、公家を象徴する寝殿造(金箔が貼られていない)で、宝冠釈迦如来像・足利義満像を安置。漱青(そうせい)という舟遊びのための舟に乗る場所もある。 |
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実は金閣は放火され再建されていますが、屋根にある鳳凰は放火による焼失を免れた貴重な品です。室町時代に作られた金閣寺創建当時ものと言われています。
金閣は1950年放火で焼失し、1955年に再建に再建されましたが、再建時には10センチ角の金箔が10万枚(2キロ)を使用。その後の修復では20万枚(20キロ)使用された(総額約7億4千万円とも)と言われています。
見所3. 方丈と陸舟の松
金閣寺の方丈は、入母屋造(いりもやづくり)という建築様式で、扉に「杉戸絵」が描かれているなどの特徴があります。方丈(ほうじょう)とは、住職の居室のことで、一般的に1丈(約3m)四方の部屋になっています。
- 方丈は西笑承兌(さいしょうじょうたい)が1602年(慶長7年)に建てた
- 1678年(延宝6年)に、後水尾天皇が新築し、現在に至る
- 国の重要文化財に指定された
→陸舟の松はこちら((クリックで開閉式解説)
方丈北側には陸舟の松(りくしゅうのまつ)がありこちらも金閣寺の特徴的な見どころと言えるでしょう。陸舟の松は五葉松と言う種類の松で、足利義満がお手植えした盆栽が育ち年月が経過。樹齢は推定600年以上と言われている松です。
京都三松とは下記になります。
寺名 | 京都三松 |
---|---|
金閣寺 | 陸舟の松 |
善峰寺 | 遊竜の松 |
大原宝仙院 | 五葉の松 |
ちなみに陸舟という名前が付いたのは、この松が船の形に仕立てられているからです。
見所4. 銀河泉
銀河泉(ぎんがせん)の水を足利義満がお茶に使ったと言われている場所で、金閣の裏手側にあります。
見所5. 厳下水
巌下水(がんかすい)は、石で囲まれた水たまりで、茅葺きの屋根がかかっています。なんの水かというと、足利義満が手を清めたお手洗い時の水です。
見所6. 安民沢と白蛇の塚
安民沢(あんみんたく)は鏡湖池の水源ともなっていて、池には水神の白蛇を祀った「白蛇の塚」が建ています。金閣寺が建てられる以前は、西園寺家の別荘であり、白蛇の塚は、西園寺家の守り神と言われています。
見所7. 金閣寺垣
金閣寺と銀閣寺はよく比較されますが、金閣寺には金閣寺垣、銀閣寺には銀閣寺垣があります。さらに龍安寺垣などもあります。
金閣寺垣は竹を縦方向に組み、龍安寺垣は竹を斜めに交差した特徴の違いを見どころとして知っておくと良いでしょう。銀閣寺垣は特徴的な作りになっているのでぜひ銀閣寺のページで確認してください。
→さらに詳しく(クリックで開閉式解説)
- 垣は仕切りの役目がある
- 金閣寺垣は竹でできた低めの垣根のこと
- 垣の後ろが見えるものを透かし垣という
見所8. 夕佳亭
金閣寺の北側出口付近の小高い場所には、「夕佳亭(せっかてい)」があります。夕佳亭という名前は「夕日に映える金閣が佳い」ということに由来しており、夕暮れ時の景観の美しさから名付けられました。
金森宗和が造営し、金森宗和が茶道家のため、夕佳亭には茶室があります。金森宗和は、宗和流茶道を開き、公家に愛された茶道家で、姫宗和という柔らかく優美な茶風が特徴です。
夕佳亭付近には富士形手水鉢と貴人榻があり、こちらも合わせて見どころとして解説します。
→富士形手水鉢と貴人榻はこちら(クリックで開閉式解説)
富士形手水鉢
富士型手水鉢(ふじがたちょうずばち)は夕佳亭の前に置かれている富士山の形をした手水鉢です。
足利義政が愛用した手水鉢であり、足利義政は金閣寺創建者・3代将軍足利義満の孫で銀閣寺を建てた人物です。
- 手水鉢は茶室に入る前に手を洗うもの。また、蹲踞ともいう
- 蹲 = しゃがむ、うずくまるなどの意味がある
- 踞 = おごる・うずくまるなどの意味がある
貴人榻
夕佳亭のそばにある貴人榻(きじんとう)は昔、高貴な人が座った腰掛け石のことで、室町幕府から移設されたものです。
- 貴人とは地位や家柄が高い人のこと
- 榻は腰掛けの意味
- 貴人榻は貴人の腰掛けの意味
見所9. 不動堂
金閣寺で最古の建物が不動堂です。不動堂は不動明王を祀り、本尊は石造不動明王像で、安土桃山時代に宇喜多秀家により再建され現在に至る歴史を感じられる見どころの一つです。
- 1225年(嘉永元年)に建立(鎌倉時代)
- 応仁の乱で焼失
- 1573〜1592年、宇喜多秀家が再建し現在に至る
金閣寺の見どころまとめ
以上が金閣寺の見どころとなります。まとめると下記のようになります。
金閣寺の見どころ | |
---|---|
鏡湖池 | 鏡湖池は金閣を取り囲む池のことで有名な石が多々ある |
金閣 | 金閣は鏡湖池に浮かぶ舎利殿のこと |
陸舟の松 | 京都三松の一つで、樹齢は推定600年以上 |
銀河泉 | 足利義満がお茶に使ったと言われている |
巌下水 | 足利義満が手を清めたお手洗い時の水 |
安民沢 | 鏡湖池の水源で、旧西園寺家の守り神が祀られている |
銀閣寺垣 | 背の低い透かし垣で竹で作られている |
夕佳亭 | 茶人・金森宗和の茶室 |
不動堂 | 金閣寺最古で、不動明王を祀る |
次に金閣寺に関わった人物を簡単に解説していきます。
2. 金閣寺の歴史と見どころに関わる人物事典
ここからは金閣寺の見どころに関連する歴史や人物をまとめています。人物との関わりから見た金閣寺を簡単に知ることができます。気になる人物名を押すと開閉して解説が読めます。
西園寺公経(クリックで開閉式解説)
歴史1.西園寺公経時代の流れ
金閣寺の正式名称は鹿苑寺といい、足利義満が山荘として造営した北山殿が有名ですが、藤原公経(ふじわらのきんつね)の土地に建つ西園寺(さいおんじ)が元になっています。歴史の流れとしては下記のようになります。
- 北山とは、藤原公経が入手した土地
- 藤原公経は平安時代の権力者藤原氏の子孫で、この敷地内に西園寺という寺を建てた
- 自らも西園寺公経と名乗っていたが鎌倉幕府滅亡とともに西園寺家は没落し山荘は荒廃
- その後この土地を足利義満が河内の所領と交換し、北山殿と名付けている
このようにして鎌倉時代の終わりと共に荒廃した西園寺家の土地を足利義満が得て、北山殿(きたやまどの)という山荘を建てたことが金閣寺の始まりです。
また、西園寺公経時代の見どころとして白蛇の塚があります。白蛇の塚は西園寺家の守り神と言われて古い歴史を感じられる見どころと言えるでしょう。安民沢(あんみんたく)は鏡湖池の水源になっており、池には水神の白蛇を祀った「白蛇の塚」が建ています。
以上が金閣寺と西園寺公経に関わる歴史と見どころです。
空海(クリックで開閉式解説)
空海と石造不動明王像
石造不動明王像と空海
本尊の石造不動明王像は特別公開が行われる以外は非公開となっています。
石造不動明王の特別公開日は下記の通り。
- 節分の2月3日
- 大文字五山送り火の8月16日
また、石造不動明王は弘法大師・空海によって彫られたと言われています。
空海は遣唐使として中国に渡り密教を持ち帰った人物です。真言宗の開祖で、京都でも至る所に痕跡を残しています。
以上が金閣寺と空海に関わる歴史と見どころです。
足利義満(クリックで開閉式解説)
足利義満時代の流れ
西園寺の土地を得た足利義満は北山殿(きたやまどの)と名付けた山荘を営みました。この北山殿で政治を行い中国から日本国王と認定されるなど、全盛期を迎え死去します。
足利義満の全盛期から鹿苑寺と呼ばれるようになるまでの足利義満時代の流れは下記になります。
- 御所に並ぶほど大規模な北山殿で義満は政治を行った
- 1394年足利義満は息子足利義持に将軍職を譲る
- 1408年足利義満が死去し、妻・北山院日野康子の御所となる
- 北山院の死後は足利義満の遺言により禅寺の鹿苑寺となった
- 足利義満の法号である鹿苑院殿から鹿苑寺と名付けられた
北山殿で政治を行い室町時代の黄金期を築いた足利義満が死に、北山殿が義満の法号から鹿苑寺となり、舎利殿(金閣)が特徴的なことから通称・金閣寺と呼ばれるようになりました。
足利義満と金閣寺の見どころ
ここからは足利義満に関連する歴史がわかる金閣寺の見どころを紹介していきます。
- 金閣寺は1397年(応永4年)に足利義満が北山殿を建立したのが元
- 寺名は開基である足利義満の法号鹿苑院殿にちなんで付けられている
足利義満関連の見所1. 鏡湖池
鏡湖池(きょうこち)は境内の半分以上を占める金閣が浮かぶ池・庭園のことです。
葦原島などの大小の島々、畠山石・赤松石・細川石など各大名が足利義満に奉納した名石、そして衣笠山を借景とした風景が楽しめます。
- 足利義満が生まれた当時は南北朝動乱期
- 祖父・足利尊氏が全国に守護大名を配置し幕府として武士を統括
- 後醍醐天皇と戦い、南朝北朝で敵対、後醍醐天皇の南朝へ寝返る者も多くいた
- 幕府では足利尊氏(兄)と足利直義(弟)が対立
- 義満の父・足利義詮(あしかがよしあきら)も死に幕府の権威は低下
これらによって守護大名が力をつけていた時代です。3代目・室町幕府将軍としては各守護大名の力が強く幕府の権威が危うい時代でした。
足利義満はその状態から山名・細川・斯波(しば)・土岐(とき)などの巨大な守護大名の家督争いを誘発し、大内義弘(おおうちよしひろ)を仲間にするなどして、大名たちの力を弱体化し、権力を高めていきます。
その結果、鏡湖池に各大名の石が置かれていると考えると、金閣寺の歴史を感じられると思います。
足利義満関連の見所2. 金閣(舎利殿)は足利義満の権力の象徴
金閣は舎利殿のことで、足利義満の権力の象徴とも言われています。
足利尊氏・足利義詮が守護大名をまとめきれずに死去し、権威があるだけで軍事力がない幕府を引き継いだ足利義満。
守護大名が力を合わせると倒されてしまう状態の幕府を立て直し、守護大名を制圧し幕府を再建。
公家の最高位・太政大臣と、武家の最高位・征夷大将軍となり、日明貿易で莫大な富を得て、明にも認められ日本国王と自称するなど、栄華を極めた義満は権力の象徴として金閣(舎利殿)を建てたと言われています。
この歴史を知った上で、舎利殿の造りを見ると、三層構造で公家の上に武家、武家の上に禅宗様の部屋を作り、そこに舎利を安置し、金箔でコーティングするという、足利義満の権力を表す造りになっていることが納得できるのではないかと思います。
三層 | 究竟頂(くっきょうちょう)は、足利義満を象徴する禅宗様仏殿造風 |
---|---|
二層 | 潮音(ちょうおんどう)は、洞武家を象徴する書院造(武家造)で、武士は公家より上の存在という表現をしている |
一層 | 法水院(ほっすいいん)は、公家を象徴する寝殿造(金箔が貼られていない)で最下層を表現している |
そして金閣を代表とする金閣寺は、足利義満が後小松天皇や中国貿易の使者などを招いたと言われる北山文化ゆかりの地になっています。
足利義満関連の見所3. 陸舟の松は足利義満が植えた松
方丈北側にある陸舟の松(りくしゅうのまつ)は足利義満がお手植えした盆栽。その盆栽が今では樹齢推定600年以上の松に育ち金閣寺に歴史の流れを感じさせる見どころの一つとなっています。
- 陸舟という名前は、松が船の形に仕立てられているから
- 陸舟の松の種類は五葉松
足利義満関連の見所4. 銀河泉はお茶用の水
銀河泉(ぎんがせん)は足利義満がお茶に使った水です。
足利義満関連の見所5. 厳下水は足利義満が使ったお手洗いの水
巌下水(がんかすい)は、足利義満が手を洗ったお手洗い用の水です。足利義満が使うとお手洗いの水にも名前がつき、見どころの一つとなります。
足利義満と金閣寺のまとめ
室町幕府を立て直し、守護大名が鏡湖池に石を奉納し、 武家・公家の最高位と、明から日本の王として認められた権力者として金閣寺を造った足利義満。
陸舟の松や銀河泉、巌下水など足利義満が関わったものが多数残る金閣寺は、まさに足利義満の世界を感じられる歴史スポットと言えるでしょう。
以上が金閣寺と足利義満の歴史と見どころです。
足利義政(クリックで開閉式解説)
足利義政と富士型手水鉢
富士型手水鉢(ふじがたちょうずばち)は夕佳亭の前に置かれている富士山の形をした手水鉢です。
足利義政が愛用した手水鉢であり、足利義政は金閣寺創建者・3代将軍足利義満の孫で銀閣寺を建てた人物です。
以上が金閣寺と足利義政の歴史と見どころです。
宇喜多秀家(クリックで開閉式解説)
宇喜多秀家と不動堂
宇喜多秀家は豊臣政権の五大老の一人でしたが、秀吉の没後は関ヶ原の戦いで西軍について敗れ流罪となり死去しています。秀家の「秀」は秀家が元服時に秀吉から与えられるほど寵愛を受け、秀吉の養女で前田利家の娘である豪姫を正室としている人物です。
- 宇喜多秀家は豊臣政権の五大老の一人
- 秀吉の没後は関ヶ原の戦いで西軍について敗れ流罪となり死去
- 秀吉の養女で前田利家の娘である豪姫を正室としている人物
この宇喜多秀家によって金閣寺の不動堂が再建されたということです。金閣寺で最古の建物が不動堂です。不動堂は不動明王を祀り、本尊は石造不動明王像で、安土桃山時代に宇喜多秀家により再建され現在に至る歴史を感じられる見どころの一つです。
- 1225年(嘉永元年)に建立(鎌倉時代)
- 応仁の乱で焼失
- 1573〜1592年、宇喜多秀家が再建し現在に至る
以上が金閣寺と宇喜多秀家の歴史と見どころです。
西笑承兌(クリックで開閉式解説)
西笑承兌と方丈
金閣寺の方丈は、入母屋造(いりもやづくり)という建築様式で、扉に「杉戸絵」が描かれているなどの特徴があります。方丈(ほうじょう)とは、住職の居室のことで、一般的に1丈(約3m)四方の部屋になっています。
- 方丈は西笑承兌(さいしょうじょうたい)が1602年(慶長7年)に建てた
- 1678年(延宝6年)に、後水尾天皇が新築し、現在に至る
- 国の重要文化財に指定された
西笑承兌(さいしょうじょうたい)とは、1548年(天文17年)〜1607年(慶長12年)に生きた人物で、相国寺を再建し、鹿苑僧録となり、豊臣秀吉や徳川家康の政治顧問となった臨済宗の僧です。鹿苑僧録は臨済宗の事実上の最高機関です。
また、文禄の役後の明からの講和交渉である冊封状を豊臣秀吉の前で読み上げたことや、直江兼続から直江状を送られた人物です。
金閣寺の方丈はこのように歴史で活躍した西笑承兌が晩年に建てたということがわかると金閣寺の歴史がおもしろく感じられるのではないでしょうか。
以上が金閣寺と西笑承兌の歴史と見どころです。
金森宗和(クリックで開閉式解説)
金森宗和と金閣寺
金森宗和関連の見所1. 夕佳亭
金閣寺の北側には「夕佳亭(せっかてい)」があります。夕佳亭は金森宗和(かなもりそうわ)の茶室です。
夕佳亭という名前は「夕日に映える金閣が佳い」ということに由来しており、夕暮れ時の景観の美しさから名付けられました。金森宗和が造営し、金森宗和が茶道家のため、夕佳亭には茶室があります。
- 当時の夕佳亭は明治初期に焼失
- 現在の夕佳亭は明治時代中期に再建されたもの
- 金森宗和が建築した当初に近い形で復元されている
- 夕佳亭の前にある庭にはの足利義政が愛用したといわれている手水鉢と石灯篭が置かれている
- 夕佳亭の正面にある床柱は「南天の床柱」と呼ばれている
- 建物は数寄屋造りという様式
金森宗和とは
- 本名は金森 重近(かなもり しげちか)
- 大坂の陣に際し父・可重らを批判、これにより廃嫡され京都の宇治に隠棲
- その後大徳寺で禅を学び、剃髪して「宗和(そうわ)」と号する
- 宗和流茶道を開き、姫宗和という柔らかく優美な茶風で公家に愛された
- 公家だけではなく江戸幕府3代将軍・徳川家光にも招かれるなど知名度も高い人物となった
- 墓所は天寧寺(京都府京都市北区天寧寺門前町)
以上が金閣寺と金森宗和の歴史と見どころです。
三島由紀夫と金閣(クリックで開閉式解説)
歴史3.応仁の乱以降の時代の流れ
鹿苑寺となった金閣寺は、応仁の乱で消失し、その後は再建と焼失を繰り返しながら現在に至ります。
- 鹿園寺となった後は応仁の乱で多くの建物が焼失
- 江戸時代に再建
- 明治時代で一般公開開始
- 昭和25年(1950年)に、舎利殿が放火で焼失
- 昭和30年(1955年)に再建し、現在に至る
金閣寺の放火事件を題材に、三島由紀夫の小説『金閣寺』や映画『炎上』、水上勉の小説『五番町夕霧楼』などが生み出されています。
以上が金閣寺と三島由紀夫の歴史と見どころです。
3. 御朱印と御朱印帳
御朱印
金閣寺ではこれまで見どころとして紹介した「舎利殿」、「石不動明王」、「北山殿」の3種類の御朱印があります。どれも300円です。不動堂のすぐ脇にある納経所で直接書いて頂けますが、京都でも特に人気の高い観光スポットなので、観光シーズンには行列ができることもあり要注意です。
御朱印帳
オリジナルの御朱印帳は1900円で、黒、青、セルリアンブルーの3種類。どれも金襴の柄は同じで、表面には舎利殿の図柄と、御朱印帳の文字が、裏面には鳳凰の図柄と、家紋と総本山 金閣寺が金色の糸で織り込まれています。
3. 金閣寺へのアクセス
金閣寺は最寄りの「金閣寺道バス停」で下車し、徒歩約3分で着きます。
4. 金閣寺まとめ
足利義満を中心に、土地は藤原(西園寺)公経、夕佳亭は金森宗和、富士形手水鉢は足利義政、不動堂は宇喜多秀家、石造不動明王は空海など、人物と見どころの関わり合いを知ることで、金閣寺の今と昔の歴史をつなげて観光できる楽しさがあります。
金閣寺は通称であり、正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)です。鹿苑寺は足利義満の法号・鹿苑院殿が由来で、金閣は境内の建物・舎利殿のことを指しています。
- 山号 : 北山(ほくざん)
- 名称 : 鹿苑寺(ろくおんじ)
- 創建 : 応永4年(1397年)
- 系統 : 臨済宗相国寺の塔頭寺院
- 面積 : 境内面積約4万坪
- 住所 : 北区金閣寺町1
- 電話 : 075-461-0013
- 住所 : 〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1
- 時間 : 9:00〜17:00営業
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