崇道神社(京都)の歴史と見どころをわかりやすく解説
崇道神社は歴史的には崇道天皇や小野妹子にゆかりがあり、京都で最も古い御霊神社であることや、鬼門に位置するなど、歴史好きにはミステリーを感じられるスポットです。
崇道神社の場所は叡山電鉄の三宅八幡駅、八瀬比叡山口駅の間にあり、車が行き交う道路横にあります。雰囲気は次の通りです。
- 参道も長く割と大きな神社
- 木々に囲まれた人が少ない静かな神社
- 小さな森に入った気分を味わえる
それでは崇道神社の歴史から見ていきましょう。
1. 崇道神社の歴史
崇道神社の歴史を知るには、2人の人物を知るとわかりやすくなります。
その2人とはとは崇道天皇と小野毛人。
崇道天皇の霊を鎮めるために創建したのがこの崇道神社であり、それ以前に小野毛人ら小野一族が住んでいたのがこの地ということです。
それでは崇道天皇から解説していきます。
崇道天皇
崇道天皇
崇道神社は日本三大怨霊と言われる崇道天皇を祀っている神社です。この崇道天皇とは早良親王のことで、平安京を造った桓武天皇と深い関わりがある人物です。
1.藤原種継暗殺事件
- 藤原旅子(桓武天皇の夫人)が死去
- 高野新笠(桓武天皇の生母)が死去
- 藤原乙牟漏(桓武天皇の皇后)が死去
- 安殿親王(桓武天皇の子・皇太子)が重病
- 小野篁 (閻魔大王の補佐をしていたなど冥界伝説がある)
- 小野道風(小野篁の孫で書道の神として祀られる)
- 小野好古(篁の孫であり藤原純友の乱の鎮圧にあたった)
- 小野小町(三十六歌仙であり世界三大美女と言われる)
- 住所:左京区上高野西明寺山町34
- 拝観:無料
- 電車:叡山電車「三宅八幡駅」下車、徒歩約15分
- バス:京都バス「上橋」下車、徒歩約1分
785年(延暦4年)9月、桓武天皇が長岡京の造宮(現在の長岡京市)を進める中、造営長官であった藤原種継が暗殺されます。
この暗殺事件の首謀者は大伴家持とされましたが、桓武天皇の弟である早良親王(崇道天皇)も関わっているとされたのです。
2.早良親王の絶食死と不幸
早良親王の兄である桓武天皇側から疑いをかけられた早良親王は乙訓寺(京都)に幽閉されたのち淡路島に島流になります。
これを不服とした早良親王は無罪を訴え一切の食を断つなど抗議をしつつ淡路島への道中で死去。結果的に桓武天皇は反対派勢力を一掃したのでした。
しかし、早良親王の死後、桓武天皇の周りでは次のようなさまざまな不幸が起こります。
3.崇道天皇を祀る神社を創建
これらを早良親王の怨霊のせいだと思った桓武天皇らは早良親王の霊を慰めるために死後に崇道天皇という位を与え、淡路島などに崇道天皇を祀る神社を建てるなどします。
そして863年(貞観5年)、神泉苑の御霊会で、崇道天皇ら6人の御霊が祀られた後、崇道神社が創建されたのでした。
また崇道天皇は祭神として崇道神社に祀られ、兄の桓武天皇は平安神宮に祀られています。 崇道神社は、崇道天皇だけでなく、小野毛人ゆかりの地でもあります。 小野毛人は遣隋使で有名な小野妹子の子で、崇道神社一帯は小野一族の里の一つでした。 1613年(慶長18年)には山中の古い墓の石室より小野毛人の墓誌(位牌)が発見されてい 1915年(大正4年)に近隣にあった式内社とされる出雲高野神社、伊多太神社、小野神社のが合祀されるなど、時代と共に周辺の廃社を合祀し、最終的に崇道神社になっているという歴史があります。 小野毛人は天武天皇の時代の人物です。 天武天皇とは天智天皇(中大兄皇子)の弟で、壬申の乱(672年)で大友皇子に勝利し天皇になった人物。 この小野毛人は、崇道神社の関係はどこにあるのでしょうか。 墓誌は国宝に指定され、京都国立博物館に保管されています。 小野妹子の子が小野毛人であり、この小野一族ゆかりの地が崇道神社周辺です。そして小野一族は、歴史上で有名な人物に子孫として繋がっていきます。 そして京都には次のように小野家ゆかりの神社やお寺が各地にあります。 崇道神社の年間イベントは下記の通りです。 崇道神社は最も古い御霊神社で、京福電車の出町柳駅から八瀬行きの電車に乗り、三宅八幡駅で下車。 崇道神社は市街地から少し離れているため、周辺には観光スポットはあまりありません。この周辺での散策ルートとしては、2ルートあります。 崇道神社から蓮華寺、三宅八幡宮に向かうルート 瑠璃光院や比叡山、三千院などがある大原へ向かうルートがあります。徒歩圏内としては蓮華寺や三宅八幡宮、瑠璃光院やガーデンミュージアム比叡などがあります。また、バスやタクシーに乗れば大原に行くこともできます。 徒歩で行ける距離であり、ガーデンミュージアム比叡はケーブルカーやロープウェイに乗って山の上にある植物園を楽しめ、さらに行きたければ比叡山延暦寺にも行けるルートになっています。
小野毛人
この天武天皇政権の官僚であった小野毛人は、日本初の遣隋使・小野妹子の子なのです。
それは、慶長18年(1613年)に崇道神社境内の山腹の墓から墓誌が発見されたこと。これにより小野毛人を埋葬したということが明らかになったということです。
崇道神社の年間イベント
崇道神社の年間イベント
6月30日
花摘祭
9月 9日
多太神社例祭
10月17日
眞榊祭・神忌祭・小野神社例祭
11月23日
新嘗祭新穀感謝祭
12月 5日
小野毛人墓前祭・御火焚祭
毎月 1日
月次祭
崇道神社へのアクセス
崇道神社へのアクセス
崇道神社の周辺スポット
崇道神社の周辺スポット