崇道神社(京都)の歴史と見どころをわかりやすく解説

崇道神社は蓮華寺から徒歩数分にある大きな神社ですが、観光向きというよりは人が少ない静かな神社です。
- 遣隋使で有名な小野妹子一族ゆかりの神社
- 日本三大怨霊と言われる崇道天皇を祀っている神社
- 歴史好きや一人旅など、静かに神社を楽しみたい人向け
- 京の鬼門に位置している
1. 崇道神社の歴史
崇道神社は長い参道が特徴的で、鳥居から直線上に長く伸びた参道は、木々に囲まれ、静かな森に入ったような雰囲気が味わえます。
- 崇道神社は、高野御霊という別称でも呼ばれる神社
- 主祭神は、早良親王(崇道天皇)で社格は、村社
創建、変遷の詳細は不明ですが、創建には諸説あります。
- 785年(延暦4年)9月長岡京造宮使であった藤原種継が暗殺された事件で、憤死した早良親王(崇道天皇)の霊を慰めるために創建された
- 863年(貞観5年)に神泉苑での御霊会で、崇道天皇ら6人の御霊が祀られた後、崇道神社が創建された
崇道神社は、崇道天皇だけでなく、小野妹子で有名な小野一族の里の一つで、時代と共に周辺の廃社を合祀するなどし、最終的に崇道神社になっています。
- 崇道神社の周辺は、遣隋使を排出した小野一族の里だった
- 1613年(慶長18年)には山中の古い墓の石室より小野毛人の墓誌(位牌)が発見されている
- 1915年(大正4年)に近隣にあった式内社とされる出雲高野神社、伊多太神社、小野神社のが合祀されました
崇道神社の関連人物2名を知ると崇道神社の歴史がわかります。2名とは崇道神社の祭神とされている早良親王と、小野妹子の子である小野毛人(おののえみし)です。
2. 早良親王(750年〜785年)
崇道神社は早良親王(さわらしんのう)を祀る神社です。早良親王の基本情報は下記になります。
- 早良親王は奈良末期から平安初期に存在した皇族
- 光仁天皇・高野新笠(たかのにいがさ)の子
- 桓武天皇の実弟
- 後に崇道天皇・崇道上皇になる
早良親王は761年(天平宝字5年)に出家して、東大寺に住みましたが、781年(天応元年)兄の桓武天皇の即位により、還俗(出家から戻ること)し立太子になりました。
しかし、785年(延暦4年)9月に長岡京造宮使であった藤原種継暗殺事件により乙訓寺に幽閉され、淡路に流される途中で絶食死した逸話が残っています。
この早良親王の死後、桓武天皇の近親者に死者が続き、都に悪疫が流行るなどし、早良親王の祟りだという話が噂されました。
そのため、桓武天皇は早良親王に崇道天皇という追号を送り、墓を矢島陵へ改葬するなどして早良親王の怨霊を鎮めようとしたと言われています。
3. 崇道神社と小野の家系
崇道神社は小野妹子の子孫である小野毛人(おののえみし)ゆかりの神社です。京都には小野家ゆかりの神社やお寺が各地にあり、六道珍皇寺は小野篁(おののたかむら)ゆかりのお寺で、小野小町ゆかりのお寺は随心院など、小野家の家系を感じることができるのも崇道神社の特徴です。
天武天皇政権の官僚であった小野毛人(おののえみし)は、日本初の遣隋使・小野妹子(おののいもこ)の子です。この小野毛人は、崇道神社の関係はどこにあるのでしょうか。
それは、慶長18年(1613年)に崇道神社境内の山腹の墓から墓誌が発見されたこと。これにより小野毛人を埋葬したということが明らかになったということです。
- 墓誌は国宝に指定され、京都国立博物館に保管されている
- 天武天皇とは天智天皇(中大兄皇子)の弟
- 壬申の乱(672年)で大友皇子に勝利し天皇になった
小野妹子の子が小野毛人であり、この小野一族ゆかりの地が崇道神社周辺です。そして小野一族は、歴史上で有名な人物に子孫として繋がっていきます。
- 小野篁 (閻魔大王の補佐をしていたなど冥界伝説がある)
- 小野道風(小野篁の孫で書道の神として祀られる)
- 小野好古(篁の孫であり藤原純友の乱の鎮圧にあたった)
- 小野小町(三十六歌仙であり世界三大美女と言われる)
4. 崇道神社の見どころ
見所1. 金銅小野毛人墓誌
国宝に指定され、現在は京都国立博物館に所蔵されています。奈良時代の墓誌で、鋳銅製で鍍金が施されています。長さ58.9cm、幅5.9cmで、文字は両面に刻まれ「小野毛人朝臣之墓」と記されています。墓誌の碑文によると、天武朝の元で太政官をつとめ、刑部大卿を兼務しており、冠位は大錦上であったということです。
見所2. 小野毛人墓
遣隋使である小野妹子の子、小野毛人のお墓とされ、京都市指定史跡に指定されています。石板で作られた幅1m、長さ2.5m、高さ1mの石室です。
見所3. 伊多太神社
上高野の最古の神社で、この地の氏神として崇敬されました。祭神は伊多太大神です。907年(延喜7年)に式内社となり、近世以降は学問の神としても信仰を集めています。応仁の乱の兵火により焼失してしまいましたが、1883年(明治16年)に再興され、1908年(明治41年)に崇道神社に合祀されました。
見所4. 出雲高野神社
祭神は玉依姫命です。廃社した出雲高野神社の詳細は不明ですが、1915年(大正4年)に崇道神社境内に再建されました。崇道神社には摂社や末社が多くあります。摂社や末社というのは、その神社(本社)の境内にある付属している神社です。本社>摂社>末社の順に格式があります。
見所5. 小野神社
祭神は小野妹子と小野毛人です。小野一族をお祀りしていて、小野毛人の墓があります。現在の神社は1971年(昭和46年)に再建されたものです。
5. 崇道神社の祭事
祭事1. 宵宮祭(伊多太神社)5月4日
本社より鞍に榊を立てた神馬が高野川向の里堂に神霊を迎える「みこし遷し」が行われます。
祭事2. 例祭神幸祭(伊多太神社)5月5日
神輿は上高野の氏子区域を巡行し、御旅所(おかいらの森)で神事を行い本社に還幸します。古くは、神輿の巡行は定められておらず、神意のままに渡御していたといわれ、神意に背くと神輿が重くなり、動かなくなったといわれています。
6月30日 | 花摘祭 |
---|---|
9月 9日 | 多太神社例祭 |
10月17日 | 眞榊祭・神忌祭・小野神社例祭 |
11月23日 | 新嘗祭新穀感謝祭 |
12月 5日 | 小野毛人墓前祭・御火焚祭 |
毎月 1日 | 月次祭 |
6. 崇道神社へのアクセス
- 住所:左京区上高野西明寺山町34
- 拝観:無料
- 電車:叡山電車「三宅八幡駅」下車、徒歩約15分
- バス:京都バス「上橋」下車、徒歩約1分
7. 崇道神社の周辺の観光スポット
崇道神社は市街地から少し離れているため、周辺には観光スポットはあまりありません。この周辺での散策ルートとしては、2ルートあります。
崇道神社から蓮華寺、三宅八幡宮に向かうルートと、瑠璃光院や比叡山、三千院などがある大原へ向かうルートがあります。徒歩圏内としては蓮華寺や三宅八幡宮、瑠璃光院やガーデンミュージアム比叡などがあります。また、バスやタクシーに乗れば大原に行くこともできます。
おすすめルートとしては、三宅八幡駅→蓮華寺→崇道神社→瑠璃光院→八瀬の小道→ガーデンミュージアム比叡→比叡山延暦寺です。
徒歩で行ける距離であり、ガーデンミュージアム比叡はケーブルカーやロープウェイに乗って山の上にある植物園を楽しめ、さらに行きたければ比叡山延暦寺にも行けるルートになっています。