天龍寺の歴史と5つの見どころを、特徴を踏まえてわかりやすく説明
京都・嵐山にある天龍寺の見どころの一つに、曹源池庭園があります。ここでは曹源池庭園の写真と共に、由来や人物と歴史などの知識を簡単に解説していきます。
11月中旬から下旬に早朝参拝があり、早朝の天龍寺は朝日が当たり曹源池庭園などが美しい風景になります。
天龍寺を知るには核となる人物・夢窓疎石を知ってからが良いでしょう。
1. 夢窓疎石と天龍寺の歴史
1. 夢窓疎石と天龍寺の歴史
1−2. 夢窓疎石とは
夢窓疎石は臨済宗の高僧で、足利尊氏が師と仰いだ人物です。足利尊氏は後醍醐天皇を倒し、室町幕府を設立した初代将軍です。この足利尊氏は後醍醐天皇の冥福を祈るため、夢窓疎石と共に天龍寺を建立に至るのです。
1−2. 天龍寺に関わる夢窓疎石
夢窓疎石は天龍寺を建てるために中国(元)と貿易しお金を集めることを提案します。これを天龍寺船といい、四億円ともいわれる利益を得ています。その利益をもとに建てられたのが天龍寺です。
このように天龍寺を資金集めの段階から行った夢窓疎石ですが、実は日本初の作庭家と言われており、天龍寺の見どころでもある曹源池庭園の作庭も行っています。
それでは夢窓疎石やその他天龍寺に関わる人物・歴史の解説は後半にし、ここからは天龍寺の見どころを曹源池庭園をはじめ、天龍寺の見どころを解説していきます。
2. 天龍寺屋外2つの見どころ
天龍寺には多くの見どころがあります。大きな面積を占める曹源池庭園や百花苑など、記憶に残る見どころを紹介していきます。
見所1. 曹源池庭園は夢窓国師が作庭した特別名勝
見所1. 曹源池庭園は夢窓国師が作庭した特別名勝
この天龍寺にある曹源池庭園は日本で初めての史跡・特別名勝となっています。
そしてこの曹源池庭園は夢窓国師が作庭し、今もなお当時の面影をとどめていると言われています。
見所1-1.曹源池庭園の名前の由来
曹源池庭園の名前の由来は池の中から「曹源一滴」と書かれた石碑が現れた事が由来です。その他、曹源池庭園内にある龍門の滝や石橋の由来は次の通り。
- 龍門の滝の由来は、鯉が黄河にある龍門の滝を乗り越えると龍になるという「登龍門の故事に倣ったのが由来
- 石橋は日本最古の石橋組で、左から文殊菩薩・釈迦如来(中央)・釈迦三尊石と云わっている
このように曹源池庭園は、知識があると楽しみ方が増えるなどの面白みもあります。
見所1-2. 屋内の大方丈・小方丈から眺める曹源池庭園
大方丈の廊下の下で人が曹源池庭園を眺めるのがよく見る風景です。小方丈の畳から曹源池庭園を眺めることもできるなど、屋内からの眺めも楽しめるのが天龍寺の風情のある造りです。
夢窓疎石が作庭した庭園は、京都では西方寺の庭園と、天龍寺の曹源池庭園の2つがあります。
自然の景観を活かし、石組などで禅の本質を表現しようとしたとされています。曹源池庭園でも嵐山を借景とし、曹源池中央正面の石組みで龍門の滝を表現するなど、夢窓国師の特徴が感じられます。
見所1-3. 屋外で楽しめる曹源池庭園
曹源池庭園は大方丈や小方丈から眺める楽しみ方もありますが、歩いてみると、季節ごとに花が複数の種類植えられており、美しい景観の中を散歩することができます。
大方丈の前から小方丈、多宝殿へと進んだ先に曹源池庭園があり、歩いてみると建物が無く苔の緑の中に花が多々咲いているので、お寺らしい庭園の雰囲気を味わうことができます。境内も広めなので、思ったよりも歩きながら楽しむことができると思います。
見所1-4. 高台から楽しめる曹源池庭園
庭園内は高低差もあり、庭園の中を歩いていくと見晴らしの良い高い道を歩くこともできます。ここからは天龍寺を見下ろすことができ、嵐山の風景を見渡すことができます。賑わって人が多い大方丈付近とは違って、遠景を楽しみながら少し静かな雰囲気を楽しむことができる場所です。
見所2. 百花苑
2. 百花苑
天龍寺には曹源池庭園の他に、百花苑という庭園もあります。こちらは曹源池庭園よりは小規模ですが、季節によって花がいくつも咲いているので、もう一つの見どころと言えるかもしれません。
そのまま進むと僧堂側の出口に出られ、竹林の小径や野宮神社の近くに出ることができます。
天龍寺は嵐山にある寺院で、小さな寺院が集まってできている世界文化遺産の一つ。曹源池庭園という有名な庭や雲龍図、達磨図などが有名です。渡月橋や嵐電嵐山駅から近く、京都の観光スポットとしても人が多く来る場所です。
天龍寺屋内の見どころ
天龍寺は屋内も楽しめます。雲龍図、大方丈・小方丈などの見どころがあります。ここでは雲龍図の制作者や達磨図などについても解説していきます。
見所1. 龍雲図
見所1. 龍雲図
天龍寺の2つ目の見どころは雲龍図。法堂の天井に描かれた龍雲図は、特別参拝の期間だけにしか見られないので、タイミングが合えばぜひ見ておきたいポイントです。
平成9年(1997年)加山又造画伯によって描かれました。建物は古いですが、雲龍図は意外と新しいので、歴史を感じるという部分とは少し違うかもしれません。
加山又造画伯は、1927年に京都府京都市の西陣織の図案家の家に生まれ、京都市立美術工芸学校、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業し、山本丘人に師事。
1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授、東京芸術大学名誉教授になり、1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章し、2004年に肺炎で死去しています。
1997年に文化功労者に選ばれていますが、この年に天龍寺の雲龍図が製作されています。
雲龍図は直径9メートルの二重円内に墨色で描かれた八方睨みの龍は躍動感がありとても迫力があります。確かに八方睨みというだけあって、どこに行っても目がこちらを見ているように感じられました。室内は余計なものがない簡素な造りで、雲龍図と掛け軸、足利尊氏・夢窓疎石の像という3点があるだけの建物です。
見所2. 大方丈と小方丈と、庫裏の達磨図
見所2. 大方丈と小方丈と、庫裏の達磨図
大方丈と小方丈と庫裏は一つの建物で、庫裡から入り、大方丈、小方丈へと歩いていきます。
大方丈には雲龍の襖絵があり、これを描いたのは物外道人という人物で、昭和32年の作品です。天龍寺第8代管長である関牧翁老師の友人という関係でこの襖絵が描かれたようです。
この雲龍の襖絵など立ち入り禁止部分はあるものの、大方丈はある程度入って歩くことができます。また、大方丈の廊下の下で人が曹源池庭園を眺めるのがよく見る風景です。この雲龍の絵や曹源池庭園がある方角が方丈では裏に当たる西側です。
また、大方丈には本尊の釈迦如来坐像があり、この仏像は平安時代後期の作で、天龍寺内では最も古い仏像といわれています。
小方丈は来客・接待・行事・法要など様々な用途に利用される場所で、ここからも嵐山や曹源池庭園を眺めることができます。また、壁には達磨図があり、庫裏と呼ばれる建物にも達磨図があります。
庫裏と達磨図
庫裏は寺務所であり、台所の役割もある建物で、天龍寺の道をまっすぐ進んだ正面にある建物です。中に入ると住職・平田精耕の描いた達磨図があります。
- 達磨図の達磨(だるま)はもともとは南天竺国の第3王子
- 中国に渡り、禅をインドから中国へ伝えた人物
- 中国禅宗の開祖
「菩薩達磨」や「達磨大師」とも呼ばれ、日本のお寺でも達磨図や達磨大師ゆかりのお寺がいくつもあります。例えば天龍寺は足利尊氏ゆかりのお寺ですが、等持院も足利家ゆかりで達磨図があるお寺です。
歴史1. 天龍寺の歴史
歴史1. 天龍寺の歴史
1339年(暦応2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏が後醍醐天皇の霊を弔うために、夢窓疎石を開山として、天龍寺を創建しました。
また、室町時代には足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされた格式の高いお寺です。
- 天龍寺は、嵐山にある臨済宗天龍寺派大本山の寺院
- 山号・寺号は、霊亀山天龍資聖禅寺
- 日本で最初に史跡・特別名勝に指定されたお寺
- 1994年(平成6年)12月には古都京都の文化財として、世界文化遺産に登録
- 創建以来何度も大火に遭い現在の諸堂は明治時代のもの
- 夢窓国師
- 正覚国師
- 心宗国師
- 普済国師
- 玄猷国師
- 仏統国師
- 大円国師
歴史2. 天龍寺の歴史に関わる3人の人物
天龍寺の歴史に関わる人物
冒頭でも紹介した夢窓疎石の他、足利尊氏や後醍醐天皇について、天龍寺との関係をわかりやすく解説を深めていきます。
1. 夢窓疎石
七朝帝師とも呼ばれる高僧で、観応の擾乱で調停も行うなど、歴代天皇とも関係の深い人物でした。
七朝帝師とは、歴代天皇から7度も国師号を賜与されたことからついた呼び名で、全部で下記の国師号を与えられています。
足利尊氏と後醍醐天皇はどちらも夢窓疎石に帰依しており、夢窓疎石の影響力の大きさがうかがえます。
2. 足利尊氏
足利尊氏は後醍醐天皇と共に鎌倉幕府を滅亡させた人物。その後、貴族中心の政治を行う後醍醐天皇と武士の対立が激化し、武士たちのカリスマであった足利尊氏は苦悩しつつも後醍醐天皇と対立。
その結果、足利尊氏は後醍醐天皇を排除し、室町幕府初代将軍となりました。その翌年に崩御した後醍醐天皇に対し、尊氏は追悼のために天龍寺を建立しています。
3. 後醍醐天皇
第96代天皇・後醍醐天皇は源頼朝から続く武家政権の鎌倉幕府を倒し、再び天皇中心の政治体制に戻すべく建武の新政を行った人物。
しかし鎌倉幕府を倒した実行者である武士たちの反感を買い、敵対した足利尊氏により京(京都)を追放され、足利尊氏が征夷大将軍になった翌年に崩御(死去)します。この後醍醐天皇のために足利尊氏と夢窓疎石が中心となり、天龍寺が建てられたのでした。