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弘源寺は長州藩士の刀傷が残る天龍寺の塔頭

2019/01/15
 
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京都に住みつつ、観光スポットを100ヵ所以上巡ってみました。同じ場所にも何度も行ったり、鴨川でのんびりしたりと京都を満喫。歴史や神社・お寺や日本の知識なども加えて、観光に役立つわかりやすい情報をご提供できればと思います。

弘源寺は天龍寺の入り口近くにある塔頭寺院の一つで、普段は入れないお寺ですが、特別拝観できる時期があります。塔頭とは例えば天龍寺を本寺とするなら、そこから派生した弟子の小寺のような意味合いです。

小さな庭と入る事ができる屋内があり、幕末の刀傷を見る事ができたり、日本画家の大家と言われる竹内 栖鳳(たけうち せいほう)とも関わりがあり、襖絵に描かれた扇絵を見る事ができます。

天龍寺の塔頭では紅葉の時期などには、弘源寺の他に宝厳院も特別公開されています。弘源寺は紅葉は無いので、紅葉を楽しみたい場合は、宝厳院となります。

弘源寺の歴史

弘源寺は1429年(永享元年)室町幕府の管領、細川持之が創建しました。開山は、天龍寺を開山した夢窓国師の法孫、玉岫禅師です。細川持之の院号、弘源寺春岳常喜から弘源寺という寺号になったそうです。

創建当時は、小倉山の麓に位置し広大な寺領を有していましたが、その後何度も火災に遭遇したため変遷し、1882年(明治15年)に維北軒と合寺して現在の場所に移りました。

弘源寺の関連人物

玉岫禅師

天龍寺を開山した夢窓国師の法孫です。弘源寺を開山しました。玉岫禅師の読み方は「ぎょくしゅうぜんじ」です。

細川持之1400年(応永7)〜1442年(嘉吉2)

細川 持之(ほそかわ もちゆき)は細川満元の子で室町時代中期の武将です。1429年(永享元年)に摂津、丹波、土佐、讃岐の守護となりました。同年に玉岫禅師を迎えて開山し、弘源寺を創建しています。

細川家は管領であり、管領とは室町幕府で将軍を補佐する役職であり、守護大名の統括と言える立場です。有力な守護大名家が交代で管領を務め、細川・斯波・畠山の三家が交代で務めていました。

細川持之は当時の室町幕府将軍・足利義持から名の一部をいただくなど、将軍との関係は近いもので、その後も次の将軍である足利義教を補佐しますが、1441年(嘉吉元年)に赤松満祐が将軍・足利義教を暗殺する事件が起きます。

細川持之はのちに赤松満祐を滅ぼします。そして、この細川持之の子である細川勝元はのちに、日本最長の戦乱と言われる応仁の乱の引き金になり、東軍総大将になっていくのでした。

竹内 栖鳳(1864年12月20日〜1942年8月23日)

竹内 栖鳳(たけうち せいほう)は戦前の日本画家で、第1回文化勲章受章者でもあります。弟子の育成にも力を入れており、画塾「竹杖会」を主宰しました。弘源寺は本堂に入れますが、その襖には竹内栖鳳とその一門が描いた襖絵や扇絵が多数あり、和を感じさせる雰囲気を楽しめます。

この襖絵・扇絵は、竹内栖鳳の息子が病で倒れ、弘源寺で療養していた時に、弘源寺の近所に住む竹内栖鳳の弟子が、竹内栖鳳の息子の病の回復を願って竹杖会のメンバーに呼びかけ描かれたものだそうです。

このことから、弘源寺は、栖鳳寺とも呼ばれる事があったのだとか。

弘源寺の見どころ

毘沙門天像

毘沙門天像は、重要文化財に指定されていて公開されるのは、毎年春と秋の特別公開の時期のみです。弘源寺に祀られている毘沙門天像は天龍寺七福神めぐりのひとつで、仏の道と北方を守る神とされています。これは、毘沙門天はインドでは夜叉(鬼・鬼神)の王様で、北方の守護神クベーラという財宝の神に由来しています。

この毘沙門天像は、インドの仏師によって作られたもので、中国へ渡り、そこから日本へ伝えられました。

本堂 長州藩士の刀傷・屏風絵(扇絵)

本堂は客殿形式で寛永年間(1624年〜1645年)に造られたものです。御本尊として聖観世音菩薩が祀られ、左側に細川持之の位牌、右側に玉岫禅師木像を祀っています。

また竹内栖鳳の絵画やその一門、竹杖会の会員が描いた襖絵や扇絵が多数あり、春と秋の公開時には見ることができます。

その他、狭い廊下の柱に残る複数の刀傷跡は、1864年(明治3年)の蛤御門の変で、天龍寺に陣を敷いた長州藩の兵が、気持ちが抑えきれずに試し斬りしたものと伝えられています。

生々しい刀傷が見られるのは実在した歴史を感じられる臨場感があります。ちなみに蛤御門の変とは、京都御所の蛤御門付近で起きた事件で禁門の変とも言われます。幕末に尊王攘夷を掲げる長州藩と幕府勢力(会津藩・薩摩藩など)の戦いです。

ちなみに尊王攘夷とは天皇を尊び黒船など外国勢を排除する思想で、外国からの圧力に上手く対応できていない幕府(将軍)側から権力を天皇側へと戻そうとする動きの表れといえます。会津藩が金戒光明寺に本陣を置いていたり、新選組が壬生寺近くに屯所を構えていたなど、引源寺の刀傷から幕末視点で京都観光をするのも面白いと思います。

毘沙門堂

毘沙門天像を祀っています。お堂の正面に掲げられている「多聞天」の扁額は、弘法大師の直筆と伝えられています。また、毘沙門堂の天井には日本画家藤原孚石の筆による四季草花48面が描かれています。

ちなみに毘沙門天と多聞天は同一の神です。多聞天は四天王で括られた際に聞く毘沙門天の別名と考えるとわかりやすいと思います。四天王は多聞天の他に持国天・増長天・広目天がおり、京都でも四天王像があるお寺は多いので、多聞天を見る機会も多いと思います。

虎嘯の庭

弘源寺の境内には庭園がいくつかあります。その中で1番有名なのが枯山水式庭園の「虎嘯の庭」です。妙智院の所有だったものを弘源寺に移したものです。

虎嘯とは、「こしょう」と読み、虎が吠える事を言います。また、「虎嘯の庭」は、「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)という碧巌録九十九則の言葉が由来なのだとか。龍が声をあげると雲がわき、虎が唸ると風が生じるという意味です。規模は小さいですが、嵐山を借景し、苔の築山、白砂、石の調和が印象的な庭園です。

弘源寺の基本情報(料金・開閉時間・アクセス・最寄り駅)

住所:右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65
開館時間:9:00~17:00
見学所要時間:約15分
料金:特別公開時のみ 大人500円、中小学生300円
駐車場:あり(天龍寺駐車場)、有料
アクセス:嵯峨嵐山駅から徒歩10分

弘源寺の周辺の観光スポット

引源寺周辺は観光スポットが多くあります。嵐山駅で下車し、目の前の商店街から引源寺、天龍寺、竹林の道、野宮神社、二尊院、祇王寺、化野念仏寺に向かうルートがおすすめです。

弘源寺から化野念仏寺までは徒歩で40分ほどで、天龍寺前の商店街や、祇王寺、念仏寺付近にも多くはありませんが飲食店やお土産屋がお店があります。嵐山駅周辺で楽しむなら渡月橋や嵐山を散策するのも良いでしょう。

紅葉の時期には、宝厳院、宝筐院、二尊院、祇王寺、念仏寺のルートがおすすめです。

天龍寺のページはこちら

宝厳院のページはこちら

京都の紅葉、まとめページはこちら

細川持之の子、細川勝元が東軍総大将となる応仁の乱のページはこちら

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