八坂の塔(法観寺)の歴史と見どころが簡単にわかる解説

八坂の塔外観 01. 京都のお寺

八坂の塔外観

清水寺から二年坂・三年坂へと向かうとあるのが八坂の塔です。縁切り神社で有名な安井金比羅宮や、豊臣秀吉の妻であったねねゆかりの高台寺などとも近く、京都観光の人気スポットの一角となっているのが八坂の塔周辺と言えます。

このページでは八坂の塔(法観寺)の見どころである五智如来や八坂の塔の中の写真、法観寺の歴史がわかる人物や歴史についてわかりやすく解説していきます。

1. 八坂の塔見どころ(塔内部)

法観寺の境内は八坂の塔を中心に、その周りに朝日将軍 木曾義仲の首塚・太子堂・薬師堂などがある造りになっています。また、八坂の塔内部に入ることもでき、仏像を間近で見られることや、狭いながらも木造のハシゴで二階まで上がることもできるレア体験ができるスポットになっています。

八坂の塔の仏像 正面

八坂の塔は高さ46mの五重の塔になっており、その一階には仏像が四体配置されています。間近で見ることができ塔内の薄暗さもあるので雰囲気があります。ただしかなり狭く他に人が少しでもいるとそれだけで混雑した感じを受けるかもしれません。また、八坂の塔は聖徳太子が建てた塔と言われていますが、渡来氏族の八坂氏の氏寺という説もあります。

八坂の塔二階

八坂の塔の二階からの眺めです。狭い部屋の小さな窓から覗く形で見る街の風景なので、他とは違った見え方になります。ちなみにこの道をまっすぐ行くと十字路があり、直進すると六道珍皇寺、右に行くと安井金比羅宮が徒歩圏内にあります。法観寺(八坂の塔)は建仁寺派のお寺ですが、建仁寺も安井金比羅宮をさらに斜め右に進んでいくと、徒歩で行ける距離にあります。

八坂の塔の二階からの風景

2. 八坂の塔がわかる2人の人物

ここからは法観寺の歴史が簡単にわかる3人の人物を紹介していきます。
見どころとセットなのでわかりやすいと思います。

人物1. 八坂造と八坂の塔

元々は高麗(朝鮮の王朝)から日本に来た伊利之使主(いりしおみ)という一族がいました。その伊利之使主の子孫に八坂造(やさかのみやつこ)という姓を賜った渡来系氏族がいて、この八坂造が八坂の塔を建てたと言われています。

また、八坂の塔から少し歩いた場所に八坂庚申堂や八坂神社がありますが、これらも八坂の塔と同じ八坂造(やさかのみやつこ)が建てたお堂・神社です。

人物2. 聖徳太子と八坂の塔

聖徳太子説だと、592年に聖徳太子が如意輪観音の夢告により八坂の塔を建て、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したといわれています。

聖徳太子は推古天皇の摂政として政治を行った人物で、日本古来の神を重視した物部氏を倒し、蘇我氏と共に仏教を日本に取り入れていった人物です。政治の中枢で権力を握っていた聖徳太子により日本に仏教が普及していきました。

人物3. 足利義教と八坂の塔

八坂の塔は過去に焼失しており、現在の塔は足利義教(あしかがよしのり)が再建したものです。足利義教は室町幕府の第6代将軍で、金閣寺を建てた第3代将軍・足利義満の子です。

「万人恐怖」とも称された強烈な政治手腕で絶大な権力で権力者を排除していったため、守護大名の赤松氏に謀殺される嘉吉の乱で命を落としました。万人恐怖と言われた人が法観寺を再建しているのは面白いところでしょう。

五智如来像をわかりやすく解説

八坂の塔の仏像

八坂の塔には仏像があり、かなり近い距離で見ることができます。この仏像は五智如来像で、大日・釈迦・阿閦・宝生・弥陀という五体の如来です。

しかし、仏像は四体。もう一体はどこにあるのかは謎ですが、柱に小さな仏像があります。ちなみに空海で有名な東寺の「五重塔」でも、心柱を大日如来に見立て、金剛界四仏を配置する構図がとられています。

五智如来(ごちにょらい)とは、密教で5つの知恵を表す如来のこと。5つの知恵とは法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智です。京都駅からすぐ近くの東寺(教王護国寺)の「講堂」にも立体曼荼羅と言われる五智如来像を配置したものがあるので、仏像を比較してみると楽しめると思います。

八坂の塔の見どころ(境内)

八坂の塔の周りには狭い敷地内にいくつか見どころがあります。

朝日将軍 木曾義仲の首塚

法観寺 朝日将軍木曾義仲塚

八坂の塔にあるのが木曾義仲のお墓。木曾義仲は平安時代後期の武将で征夷大将軍にもなっている武将です。1154 ~ 1184という平安時代から鎌倉幕府成立頃に活躍し、源頼朝・義経・範頼に破れた人物としても有名です。

頼朝たちの従兄弟である源義仲は、木曾義仲とも言われていました。木曽とは信濃の木曾山中で育ったことが由来となっています。

八坂の塔 稲荷尊天

その木曾義仲と法観寺の関係は次の歴史を知るとつながりがわかります。

  1. 木曾義仲は以仁王の令旨(命令)で平氏を討つため挙兵
  2. 京都にいた平氏を追い出す
  3. 振る舞いが野蛮で嫌われたあと、後白河上皇を幽閉

このような流れで朝敵となり、後白河上皇は源頼朝に助けを求め、頼朝が義経・範頼を京都に派遣します。

その後義仲軍は源頼朝の軍である源範頼·義経らに宇治川の合戦で敗走。近江国粟津ヶ原で脱出を図りますが源範頼軍により木曾義仲は討たれるのでした。

近江粟津で討たれた義仲の首は、京都の六条河原でさらし首にされ、法観寺の境内に葬られた事から法観寺と木曾義仲の繋がりが出ています。

太子堂・薬師堂

八坂の塔太子堂・薬師堂
太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の頃を表現した像があります。薬師堂には本尊である薬師如来・日光菩薩・月光菩薩・夢見地蔵菩薩・十二神将像が安置されています。

八坂の塔(法観寺)

法観寺

  • 名称: 霊応山 法観禅寺
  • 本尊: 五智如来
  • 創建: 伝・崇峻天皇5年(592年)
  • 場所: 〒605-0862 京都府京都市東山区清水八坂上町388
  • 時間:営業開始: 10:00
  • 電話: 075-551-2417
  • 開業: 1408年
  • 宗派: 臨済宗建仁寺派
  • 文化財: 五重塔、紙本着色八坂塔絵図(重要文化財)、太子堂、薬師堂(市指定有形文化財)

八坂の塔入り口

法観寺(八坂の塔)の年表

八坂の塔境内

  • 589年 :聖徳太子が如意輪観音の夢告により五重の塔を建てる(678年:渡来系豪族八坂氏説もある)
  • 948年 :塔身が西に傾き、雲居寺僧·浄蔵貴所が加持で直す
  • 1179年:清水寺衆徒と祇園神人の争いで類焼(他から火が燃え移った)
  • 1191年:源頼朝が再建

八坂の塔(法観寺)の庭

  • 1240年:建仁寺八世の済翁証救が入寺
  • 1291年:落雷により焼失
  • 1309年:北条貞時·山内円成尼が復興

八坂の塔周辺の街並み

八坂の塔付近の街並み

八坂の塔付近は清水寺から円山公園以降まで観光スポットが次々と続く京都の有名な観光スポットです。すぐ近くにある二年坂・三年坂は古い京都の街並みに並ぶ飲食店やお土産屋が大量にあるのでおすすめです。

八坂の塔周辺の街並み

また、別な方向に進めば大通りに出て、安井金比羅宮や六道珍皇寺、六波羅蜜寺なども徒歩で行ける距離にあります。安井金比羅宮や六道珍皇寺、六波羅蜜寺などは歴史的にも冥界の入口とされたり、縁切り神社と言われたりするなど、独特の雰囲気を持ったスポットなので、歴史やミステリーなどが好きな人向けの観光が楽しめます。

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