随心院は梅が有名な小野小町ゆかりのお寺

01. 京都のお寺

随心院の歴史と関連人物


随心院は真言宗善通寺派大本山の仏教寺院で、991年(正暦2年)に真言宗小野流の開祖・仁海僧正が一条天皇から土地を賜って創建しました。

古くは曼荼羅(まんだら)寺と称されていましたが、承久・応仁の乱で荒廃してしまったため、本堂は1599年(慶長4年)に再建されました。神殿造りの堂内には、御本尊や諸仏を安置しています。

仁海僧正とは

仁海僧正とは

随心院は真言宗善通寺派の大本山です。弘法大師から仁海僧正までの歴史があり、随心院が建立され現在に至ります。

  1. 開基は仁海僧正
  2. 古くは牛皮山曼荼羅寺と称されていた
  3. 仁海僧正は弘法大師の入定後の121年、8代目の弟子

仁海僧正は宮中の帰依を受け、勅命で神泉苑に請雨の方を9度行い、その都度雨が降った事から請雨僧正とも言われました。

牛皮山曼荼羅寺とは

牛皮山曼荼羅寺とは

随心院が牛皮山曼荼羅寺(ごひまんだら・ぎゅうひまんだら)と称された理由は、仁海僧正が亡き母親が牛に生まれ変わっている夢を見た事が始まりです。その牛を訪ねて養いましたがすぐに亡くなり、その牛の皮に曼荼羅の尊像を描き本尊とした事が由来となっています。

その後「随心院」と改名し、門跡寺院となりました。門跡寺院とは皇族や公家が住職を務めるお寺のことです。

増俊阿闍梨とは

増俊阿闍梨 = 随心院を建立

牛皮山曼荼羅寺を随心院に改めたのが増俊阿闍梨です。中納言阿闍梨とも言われています。中納言とは太政官(役所)の役職の一つで、大臣>大納言>中納言という地位です。

大臣は太政大臣、左大臣、右大臣などがあり、これは長官に当たります。そして大納言は次官で、中納言はその次の地位になります。つまり政治の上の方の人が随心院で住職をしていたということです。

また、阿闍梨とは、仏教では位の高い僧侶、密教では僧侶の資格を持つ者のことです。

親厳大僧正とは

親厳大僧正 = 門跡となる

寛喜元年(西暦1229年)後堀河天皇が随心院を門跡としています。これにより、随心院が随心院門跡となりました。門跡とは、皇族などが住職になっているお寺のことです。

九条家・二条家とは

承久應仁の兵乱で消失し、九条家・二条家により再建

随心院は承久應仁の兵乱でことごとく廃になります。その後、九条家・二条家の寄進により再建されました。

小野小町とは

小野小町と随心院

随心院は梅の花が有名ですが、世界三大美女として有名な小野小町(おののこまち)とゆかりのあるお寺としても知られています。境内には小野小町に関連した史跡も残されています。

小野小町の歌

小野小町は六歌仙、三十六歌仙ともに選ばれた和歌の名手です。自分の美貌を自覚しており、花を美貌の比喩とした次のような歌も残しています。

花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

この和歌を訳すと次のようになります。

花(桜)の色は春の長雨が降る間にむなしく衰え色あせてしまいました。
恋や世間のことなど物思いにふけっているうちに私の容姿もむなしく衰えてしまったものです。

他にも小野小町の代表的な歌は次のもの。

色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける

草木の花なら色褪せていく様子が見える
しかし色が見えず移り変わるのは人の心という花であった

小野小町が絶世の美女だった根拠

小野小町は世界三代美人と言われその美貌は平安時代随一であり、絶世の美女と言われています。それは古今和歌集に「いにしへの衣通姫(そとほりひめ)の流なり」と小野小町のことが書かれていることが理由の一つです。

衣通姫とは 『古事記』や『日本書紀』に書かれている伝説上の美女のことで、容姿の美しさが衣を通して光り輝いたことから「衣通姫」と言われています。

また、小野小町の絶世の美女と言われる間接的なエピソードとして百夜通(ももよがよい)があります。深草少将(ふかくさのしょうしょう)という男性が、小野小町のもとに99日通い求愛しましたが、小野小町は応じず、深草少将は精魂尽き果て死亡するというもの。

小野小町とその他の情報

その他、卒塔婆小町(そとばこまち)という能の作品も小野小町が題材になっています。

また、絶世の美女だった小野小町にちなんで、随心院では、「ミス小野小町コンテスト」を行なっています。審査基準テーマは「美心(びじん)」。美しい心を持つ女性を選ぶそうです。他にも写経や盆栽展、手づくり市などいろいろな催しが行われています。

随心院見どころ

随心院の見どころは小野小町ゆかりの化粧井戸の他、随心院が洛巽の苔寺と呼ばれていたこともあり苔庭、またはねず踊りや梅園があります。

小野小町の史跡

小野小町の史跡

小野小町は絶世の美女と言われた平安時代の女流歌人です。隨心院がある山科区小野は、小野氏一族が栄えた場所といわれ、小野小町の実家もここにあったと伝えられています。

境内には、小野小町が化粧をする際に使った「化粧の井戸」や、本堂の裏手には、小野小町に寄せられた千通の文が埋められていると伝えられる「文塚」、文を下張りにして作った「小野小町文張地蔵尊像」、小野小町の晩年の姿を写した「卒塔婆小町座像」などがあります。

小町の伝説は全国に残されていて、境内の中には全国の小町伝説が書かれた日本地図が飾られています。文塚は、恋文上達・文章上達・恋愛成就などの願いが叶うとも言われています。

はねず踊り

はねず踊り

随心院はねず踊り

随心院は梅の花で有名ですが、梅の花が見ごろを迎える3月最終日曜日にはねず踊りが行われます。

随心院の梅

元禄年間に深草少将の百夜通いの歌に合わせて男女4人の子どもに踊らせたことが起源で、大正時代に一旦途絶えましたが、1973年(昭和48年)に復活しました。

随心院の梅園外観

「はねず」というのは、古語で薄紅色という意味なのだそうで、古くは隨心院に咲く梅の花を「はねず」と呼んでいたそうです。

随心院の梅

苔の庭

苔の庭

随心院は緑が豊かなお寺ですが、本堂の南には心字池という池があり、この池から書院にかけて広がる苔の庭も見事です。庭一面が苔に覆われていたことから「洛巽の苔寺」とも呼ばれていたそうです。

お土産やイベントなど

随心院では写経や、手づくり市も行われています。ここではそのほかに、御朱印やお土産についても解説します。

写経

写経

境内の写経道場で写経や写仏の体験をすることができます。不動明王や千手観音などの数種類の仏画の中から選んで写します。写経、写仏とも最後に願い事と自分の名前を書いて奉納すると毎月17日の奉納法要で供養してもらうことができます。

手づくり市

毎月第1日曜に行われています。手作りの雑貨やクラフト、野菜や果物などたくさんの出店があり、ライブ演奏やモンキーパフォーマンスが行われることもあります。

御朱印

御朱印

御朱印は「曼荼羅殿」と京都十三佛霊場第十一番「阿閦如来」の2種類です。拝観受付でいただけます。梅園の開園中には、白地にピンクの梅柄の紙と、黄土色の紙に梅の枝が印刷された紙の2種類の限定御朱印がいただけます。

随心院お土産

随心院お土産

小野小町にゆかりのある随心院ならではのお守り「美心守」。「美心」と書いて「ビジン」と読むそうです。赤からピンクのグラデーションがあでやかで、才色兼備を祈願するお守りなのだそうです。

随心院へのアクセスとおすすめ観光ルート

随心院周辺は観光スポットが見つかりにくく、少し歩くことになります。また、アクセスもわかりにくいため、旅行前に随心院前後にどこにいくかなどの旅行プランを考えておくことをお勧めします。

随心院周辺のおすすめ観光ルート

随心院周辺のおすすめ観光ルート

随心院周辺にはあまり観光スポットはありません。歩いて行けるところといえば、勧修寺や醍醐寺でしょう。

隨心院へのアクセス

隨心院へのアクセス

  • 住所:京都府山科区小野御霊町35
  • 時間:9:00~16:30
  • 交通:京都駅からJR東海道線か湖西線に乗車、山科駅で京都市営地下鉄東西線に乗り換え小野駅で下車。
  • 交通:地下鉄烏丸線に乗り、烏丸御池駅で東西線に乗り換え小野駅で下車。

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